新宿総合支社で右から妹、母、姉と並ぶ。母いわく、姉は「知のセールス」で、妹は「情のセールス」。そして、「ある部分では私を超えた」(撮影/写真部・大野洋介)
新宿総合支社で右から妹、母、姉と並ぶ。母いわく、姉は「知のセールス」で、妹は「情のセールス」。そして、「ある部分では私を超えた」(撮影/写真部・大野洋介)

 第一生命保険で年間契約額の記録は母が持つ。ギネス世界記録でもある。長女が継ぎ、2017年度は次女がトップに立つ見込みだ。合わせて連続40年に達する。その道のりを3人が語った。

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母・柴田和子:私が第一生命保険の営業員になったのは31歳のとき。娘たちは1歳と2歳だったので、時間の自由が利く仕事と聞いて飛びつきました。お給料は実力次第で上がる歩合制。月給は半年で20倍になりました。

姉・柴田知栄:私の場合は、楽しそうに仕事をしている母を見てきたことが大きかったですね。母のお客さまにはテレビに出ている財界人もいたので、ミーハー的なあこがれもありました。

妹・廣瀬佳栄:私は建設会社でOLをしていたときに、7回目のゴルフでホールインワンを出したんです。それを知った第一生命の当時の社長に「強運の持ち主だ」と声をかけられて。何も考えずに転職しちゃいました。

姉:何事も勢いが大事。結婚も考えすぎると、私みたいに残ります(笑)。

母:長女は仕事と結婚したかのように、人生を捧げていますからね。のめり込み過ぎている気もしますが、もともと入社には賛成でした。当時私は53歳で、60歳になったら退職するつもりだったんです。担当企業に「7年後に辞めるのなら、長期にわたる契約はしない」と言われて、後継者が必要だと痛感しました。この子は法学部卒で英語も得意。ある程度勉強すれば、企業の経営者ともきちんと会話ができるようになると思いました。

姉:この仕事を勧められたことは一度もないから、テレパシーかも。入社後2年間はニューヨーク勤務で不動産や代理店、生保業界のあり方などをみっちり学び、帰国後、お客さまを徐々に受け継いでいきました。

母:大きな期待をかけた長女とは違い、次女は長続きしないと思いました。学生時代は勉強せずに、遊んでばかりでしたから。

妹:最悪じゃない?

母:でも地道な努力を重ね、頭角を現していった。3人の子どもを産んでからも仕事を続け、第一生命の営業員として5年連続でナンバーワンの見込み。コツコツと開拓した若年層のお客さまが、いまでは偉くなって助けてくれている。お客さまと共に成長する理想的な営業員だと思います。

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