哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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「働き方改革関連法案」の趣旨説明で、「裁量労働制で働く人の労働時間が一般労働者より短いというデータもある」と安倍晋三首相が答弁した時、論拠とした資料の信頼性に疑義があることが指摘され、不適切な根拠に基づいて答弁したことについて答弁を撤回、陳謝した。野党は加藤勝信厚生労働相の責任を引き続き追及する構えである。
このところよく見る政治的風景である。ある政治的主張をなす人が論拠とするデータそのものが虚偽であり、不正確という指摘があらゆる論件についてもう「当たり前」になっている。同一の現実について違う解釈があったり、違う対応策が提案されたりしているのなら、まだ対話の余地がある。けれども、自分がそれについて語っているはずの現実が「ほんとうの現実」であるかについての自己検証をやめた人たちの間ではもう対話も妥協も合意形成も存立しない。
先日、ある政治家と話した時に、「政治家にとって一番大切なことは何でしょう」と聞かれたので、「とりあえず正直、ということではないですか」と答えたら、周りにいた人たちが一斉に驚愕(きょうがく)の表情を示したことに私のほうが驚いた。自分のこれまでの政治的な努力については、その不手際や失敗を含めて隠さず開示して、それをこれからどう補正するつもりかを述べて、反対派を含めて協力を求めるほうが、おのれの成功を誇示し、失敗や不手際を言い落とすよりも結果的にはこの世に「よきもの」をもたらす可能性が高い。別に私は道学者じみた説教をしているのではなく、計算高い合理主義者として語ったつもりだったが、驚かれてしまった。
“Honesty pays in the longrun”「長い目で見れば正直は引き合う」というのは中学生の時に学んだ諺(ことわざ)だが、現代日本ではそれに同意する人はもう半数にも達しないかもしれない。日本人が集団的に嘘つきになったということではない。当今の人々にとって、ことの損得を測るめやすは「人の噂」が消えるまでの75日、長くて半年のことになったからである。その程度の期間だと、この諺は「短い目で見れば嘘は引き合う」と解釈するほうが現実的だと人々は考えるようになったのである。
※AERA 2018年3月5日号