いわゆる「ポケモン世代」。任天堂がゲームボーイ用ソフト「ポケットモンスター赤・緑」を発売した1996年当時、小学4年生。もともとゲーム好きだったこともあり、すぐ夢中に。ただほかの子どもと違ったのは、ゲームが動く仕組みに興味を持ったことだった。なぜ、ゲームの画面上でキャラクターが動くのか不思議で仕方がなかった。

 やがて独学でプログラミングを学び、信州大学工学部で情報工学を勉強、東京工業大学大学院に進むとスーパーコンピューターで情報処理の効率化の研究をした。グーグルでインターンをしたのがきっかけで、大学院修了後の2011年に同社に入社。エンジニアとして「グーグルマップ」の開発に携わった。グーグルには、毎年4月1日のエープリルフールに何か面白いことをするカルチャーがある。

 14年、野村さんはポケモンをグーグルマップ上に出現させユーザーに探してもらう「ポケモンチャレンジ」を作り、周囲を驚かせた。

 同年10月、より自由な環境で本格的にゲームを開発するため、米ナイアンティックに移籍し、ポケモンGOのディレクターに。開発リーダーとしてチームを率いた。

 ポケモンGOは、昨年7月に配信が開始されると、これまで150以上の国・地域で配信され、ダウンロード数は6億を超えた。イスラエル大統領官邸でポケモンが見つかったり、ノルウェー首相が国会審議中に夢中になったりと、話題に事欠かない。

●進化するポケモンGO

 地図も好きだという野村さんは、ごく自然にゲームの開発に取りかかることができた。

「地図って眺めているだけでも楽しかったりします。たとえば、渋谷の町には地下を通る暗渠があって、昔は川が流れていたのがわかります。じゃあ江戸時代までさかのぼると、東京って実は川だらけだったのかなと想像できて楽しいですね」

 ポケモンGOはまだまだ“進化”の可能性を秘めているようだ。

「地方にはもっと面白い場所があります。ポケモンGOをきっかけに、もっと多くの人がいろんなところに出かけるようになってくれたらうれしい。そのための仕掛けなどこれからどんどん進めていきたい」

 ポケモンが大好きだったかつての少年が思い描く世界は、無限に広がる。(編集部・野村昌二)

AERA 2017年2月20日号

著者プロフィールを見る
野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

野村昌二の記事一覧はこちら
暮らしとモノ班 for promotion
なかなか始められない”英語”学習。まずは形から入るのもアリ!?