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世界の「ウチナーンチュ」が里帰り、沖縄人としての団結

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by 三山喬 (更新 )

閉会式でバンド演奏が始まると、客席からも多くの参加者がグラウンドに入った(撮影/三山喬)

閉会式でバンド演奏が始まると、客席からも多くの参加者がグラウンドに入った(撮影/三山喬)

空手と琉舞、エイサーをミックスした閉会式のアトラクション(撮影/三山喬)

空手と琉舞、エイサーをミックスした閉会式のアトラクション(撮影/三山喬)

「世界のウチナーンチュの日」を発案したアルゼンチン(前列中央)とペルー(同右)の県系3世たち(撮影/三山喬)

「世界のウチナーンチュの日」を発案したアルゼンチン(前列中央)とペルー(同右)の県系3世たち(撮影/三山喬)

星条旗を手に国際通りを行進する米国サクラメントの県人会一行(撮影/三山喬)

星条旗を手に国際通りを行進する米国サクラメントの県人会一行(撮影/三山喬)

 クライマックスは30日の閉会式。スタジアムのスタンドを国内外半々、約1万5千人のウチナーンチュが埋め尽くした。

二人はたくさん働いた
わき目もふらず働いた
やがて三線鳴りやんだ
やがて三線鳴りやんだ
夜空ン星に登りました

 アルゼンチン2世・大城バネサさんが歌う「三線のかほり(移民の唄)」に涙ぐむ高齢の参加者たち。

 大会実行委員会会長の翁長雄志沖縄県知事は「沖縄を愛するすべての人々が、ウチナーンチュが心を一つにすることを祝福し、ウチナーンチュであることを誇りに思うことを願います」と述べ、若い県系3世の発案で、この10月30日を「世界のウチナーンチュの日」と定めたことを発表した。

「サンキュー・ヴェリー・マッチ」
「ムチャス・グラシアス」
「ムイント・オブリガード」

 知事が各国語で謝辞を述べるたびに、スタンドに陣取るそれぞれの国の訪日団が大歓声を上げる。やがて会場は、割れんばかりの「ウチナーンチュ・コール」に包まれた。

 米軍基地問題で「イデオロギーよりアイデンティティー」と保革連帯を訴えて当選した翁長知事。その任期のほぼ半ばに開かれた第6回世界のウチナーンチュ大会は、国境を超えたアイデンティティーを高らかにうたい上げ、過去最大の盛り上がりを見せた。

 もちろんイベントそのものに政治色は一切ない。だが、「この高揚は、底流では政治的な意識にもつながっている」と移民史研究者の金城宏幸・琉球大学教授は解説する。

●出会いが新鮮な刺激に

 教授によれば、海外には世界のウチナーンチュ大会と酷似したイベントが存在するという。スペインのバスク自治州政府公認の団体が95年から4年に1度、各国のバスク系同胞を集めて開いている「世界バスク系コミュニティ会議」だ。

 独自の言語や文化を持つバスクの人々は、スペイン内戦ではドイツ軍によるゲルニカ爆撃の悲劇を体験し、フランコ独裁政権の時代には迫害を避け、多くの住民が海外に流出した。しかし、移民たちは散り散りになりながらもアイデンティティーの象徴として言語を伝承し、近年では故国での祭典を開くようになった。

「沖縄の活動はまだ、目的が明確に意識されていませんが、『島くとぅば』(沖縄方言)の復興や海外ネットワークを強化する動きは、アイデンティティーを意識的に守るバスク人の運動と驚くほど似ています。とくに“日本人化”が進む沖縄の若い世代には、海外ウチナーンチュとの出会いは新鮮な刺激になっていると思います」

 前回大会からそうした“うねり”を感じ始めたという教授は、今大会のさらなる高揚を見て、人々の意識変化の胎動を確信するようになったという。

 多くの参加者はシンプルに「感動」を語るだけだったが、教授の洞察を伝えると、得心したように頷く人たちもいた。(ノンフィクションライター・三山喬)

AERA 2016年11月14日号


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