「陛下の仕事量は尋常ではありません。行事の多い春や秋は、1カ月に1日、2日しか休みがないこともある。一般のサラリーマンのように、週に2日休めるような生活ではありません」

 公的行為の一つ、勲章受章者らから皇居であいさつを受ける「拝謁(はいえつ)」だけで年に約100回。昨年1年間の地方への訪問は、静養を除いて15県29市11町に及んだ。昭和天皇に比べても多く、宮内庁によると、74歳時点での陛下の公務は、外国賓客らとの会見が昭和天皇の1.6倍、外国に赴任する大使らとの面会は4.6倍、東京都内や地方への訪問は2.3倍にもなる。

 ある皇室関係者はこうした公務の過酷さをこう表現した。

「昭和天皇は晩年、本当にお体がつらそうでした。歌会始の最中に居眠りをしてしまって、侍従長があえてコツッと靴音を立てて、起こされることもあった。いまの天皇陛下も80代。ご公務はそれはそれは負担が大きく、大変なことだと思います」

●月1回の「継承の場」

 注目すべきは、こうした公務の少なくない部分が憲法の定める国事行為ではなく、陛下の意思に基づくものだという点だ。すっかり定着した大規模災害の被災地慰問にも、陛下の希望が強く反映されている。

 原型は1991年、長崎県の雲仙・普賢岳が噴火し大規模な火砕流が発生した際の避難所訪問だ。発生から1カ月余、まだ火砕流が収まらないうちに現地入りし、靴を脱ぎ、体育館の床に直接ひざをついて被災者と目線を合わせ、言葉を交わした。前出の山下さんは言う。

「陛下は自分をごまかせない人で、天皇としての使命感がとても強い。執務室では常に背広にネクタイをしめ、面会者や行事に関する分厚い資料もすべてに目を通されます。公的行為については、ご自分の目で見る、耳で聞く、語りかけるというのが陛下の基本的な考え方です」

 こうした公務は、形だけをまねて継承できるものではない。意義や価値観も含めた次世代への継承は、可能なのか。

 12年2月に心臓の冠動脈バイパス手術を受けた天皇陛下は直後から、皇太子さま、秋篠宮さまとの定期懇談を始めている。月1回ほどのペースで、陛下が象徴天皇としての体験や考えを伝え、率直な意見を交わす「継承の場」となっているという。皇室に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次教授(日本近現代史)はこうした事実を踏まえ、

「今回のメッセージは、天皇ご一家の中で、十分な議論と確かな意思統一が図られたうえで出されたものでしょう」

 と話す。このことは、「天皇の終焉(しゅうえん)」に触れて「残される家族は」という言葉を使ったことからも読み取れるという。

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