「すごい決意をもったファンの少女たちが相手ですから、学生デモとは違う崇高な警備で臨みました」

 出動した警官は延べ8370人、VIP警護級の厳戒態勢で、宿泊ホテルに4人を閉じ込め、会場の武道館内にも2千人近い機動隊・私服警官を動員、観客が立ち上がることも制動するなど常軌を逸していた。

 こうした有無を言わせず指示に従わせるという警察の姿勢は、やがて盛り上がる学生運動・街頭闘争での群集・野次馬規制やサミットなどのテロ対策警備につながる。警察から見ればビートルズもファンたちも「秩序を攪乱する過激分子」だったのではないか。当時気鋭のルポライターだった竹中労を先頭にチームを組んで来日騒動を多角的に取材した記録『ビートルズ・レポート』(月刊誌「話の特集」臨時増刊、95年にWAVE出版から復刻)も、過剰警備の問題やビートルズとファンをバッシングする日本社会の異常さに切り込んでいる。

●ジョンの「シェー」

 ビートルズが来日した66年は、まだ戦後わずか21年、働き盛りの40代の男の多くは軍隊経験者という時代だ。大学生が漫画を読むのが「嘆かわしい風潮」としてニュースになり、エレキギターは騒音で、エレキバンドは不良、ビートルズの長髪が「モップ頭」などと呼ばれて大人たちの顰蹙(ひんしゅく)を買っていたのだ。

 中1の子どもだった筆者は、上の世代のエキサイトぶりにあこがれつつもマンガと怪獣に夢中になっていた。だからジョン・レノンが星加ルミ子(当時「ミュージック・ライフ」編集長)とともに「おそ松くん」でおなじみの「シェー」のポーズでおどけている写真は衝撃だった。音楽だけではない、ビートルズと自分たちが日常文化でちゃんとつながっていたのだった。(ライター・田沢竜次)

AERA  2016年7月11日号