校長先生が塾代捻出で運命を切り開いてくれた 三橋克仁・マナボ社長 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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校長先生が塾代捻出で運命を切り開いてくれた 三橋克仁・マナボ社長

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編集部・山口亜祐子AERA
三橋克仁(みはし・かつひと)/1987年生まれ。東大工学部卒、同大大学院工学系研究科修士課程修了。2012年に「マナボ」を設立し、アプリで個別学習指導を受けられるサービスを開始する。右は、小学2年生のとき、自宅のあった東京都東久留米市の公園で(撮影/写真部・長谷川唯)

三橋克仁(みはし・かつひと)/1987年生まれ。東大工学部卒、同大大学院工学系研究科修士課程修了。2012年に「マナボ」を設立し、アプリで個別学習指導を受けられるサービスを開始する。右は、小学2年生のとき、自宅のあった東京都東久留米市の公園で(撮影/写真部・長谷川唯)

 いま第一線で活躍する人たちの中にも、幼少期は苦しい暮らしだった人たちがいる。過酷な環境でも、前を向いたり、手を差し伸べてくれる人がいたり、さまざまなきっかけがあった。

*  *  *
 学校の宿題や参考書でわからない問題が出たら、問題をスマホで撮ってアプリで送信。するといつでも、大学生がサッと教えてくれる。三橋克仁さん(29)は、東京大学大学院在籍中に起業し、オンラインで個別指導が受けられる教育アプリ「manabo(マナボ)」を始めた。

 東大入学者の半数以上が年収950万円以上の家庭出身(東大の学生生活実態調査)と言われるなか、三橋さんは「電気や水道を止められるのはしょっちゅう」という家庭で育った。

 父親は画家だったが、作品はさっぱり売れない。生活費を稼ぐために、エアコンや空気清浄機の洗浄、壁の塗装などを請け負う仕事を始めたが、

「自分の生活圏にある小さなお店から仕事をもらってくる程度で、子どもの目線で見ても、営業力は全くありませんでした」

 三橋さんは、小学4年生になると、父の仕事の手伝いを始めた。親子2人で車に乗って、中華料理店やラーメン店で油にまみれたエアコンを洗浄した。

「この頃、ウチは周りと比べて裕福じゃないんだとようやく気づき始めました」

 小学6年生の時に、ほぼ実費のみで参加できたJAXA(宇宙航空研究開発機構)でのキャンプに行ったのがきっかけで、宇宙飛行士に憧れるようになり、自然と東大に行きたいという夢が膨らんでいった。

 元々、算数が好きだったという三橋さんは、東大進学率が高く、国立で学費が安いという理由で、筑波大学附属高校を志望校に定めると猛勉強を始めた。

 参考書も満足には買えない中、独学で勉強。夜中の3時まで机に向かい、成績は学年トップを維持した。だが、途中で限界を感じた。

「競い合うライバルがほしくて、塾に行きたいと思ったんです」

 自分で塾を回ってチラシを集め、近所で一番安くて、内容もいいと思える学習塾を見つけた。「ここに行きたい」と親に伝えたが、お金が払えないと拒否された。友だちにとって塾は、親に「行きなさい」とけしかけられるもの。だが、三橋さんにとっては我慢する対象だった。


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