「孤育て」の限界 被曝避け移住後、戻ってくる母子も (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「孤育て」の限界 被曝避け移住後、戻ってくる母子も

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<甲府市に避難>佐和さん(仮名、36)、娘(3)6歳の長女もいる。沖縄、山梨へ避難し、埼玉に戻る。「震災の前日に2人目が生まれて、幸せの頂点で時間が止まってしまった。もう一度、家族をやり直します」(撮影/古川雅子)

<甲府市に避難>
佐和さん(仮名、36)、娘(3)

6歳の長女もいる。沖縄、山梨へ避難し、埼玉に戻る。「震災の前日に2人目が生まれて、幸せの頂点で時間が止まってしまった。もう一度、家族をやり直します」(撮影/古川雅子)

 子どもの被曝を少しでも避けたいと、沖縄や九州へ。遠方で暮らす福島の母たちには、3年という時間が重くのしかかる。関東から逃れて移住先を転々とした末に、戻る決断をした母もいた。

 さいたま市の佐和さん(仮名、36 )は、当初1年間は、2人の娘を連れて沖縄に母子避難していた。

 見知らぬ地のワンルームで、乳飲み子を含む2人を身内の援護なく育てる「孤育て」には、すぐに限界がきた。

 沖縄の地元の人は親切にしてくれたが、結局、<避難者>としてしか生活できない現実に気づいた。車もなく移動する足もない。遊びに来てもらうには狭すぎる家。極端に環境が違う生活だけに、遊びに誘う側も誘われる側も気を使った。

 父親が不在の分、子どもたちにはなるべく楽しい思いをと、ゴールデンウイークに連日海へ、地元の祭りへ、バスを乗り継ぎ「頑張って」連れ歩いた。その無理がたたり、母親である自分の精神も体も壊れかけた。長女も突然泣きじゃくったり、不安定になった。2012年5月末に、さいたま市に戻った。


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