筆者にとってヒラリー・ロダム・クリントンの魅力とは、牛乳瓶の底のごとき眼鏡をかけた学生時代の写真が示すような、「アメリカ中西部のひたむきな猛勉強少女」という原型から生まれてくる。

 中西部人には、東海岸や西海岸の出身者にない無骨な底力がある。例えばF・スコット・フィッツジェラルドは、『華麗なるギャツビー』で語り手と主人公にこの地方人を選び、語り手に「これは中西部人の物語だ」と言わせた。物語の主人公ジェイ・ギャツビーは、氏素性を重視する地域社会を捨てて大都会に出てきた野心家として描かれるが、ここに中西部人の特質が如実に表現されているのだ。事実、アメリカの中心舞台であるニューヨークやワシントンD.C.に躍り出てくる比率は、中西部人が多いという。複雑なルーツを持つバラク・オバマが中西部の“首都”シカゴを基盤に選び、中央政界に飛躍したのも然りだ。

 ヒラリーの近著『困難な選択』(日本経済新聞出版社)に描かれた国務長官としての獅子奮迅ぶりからは、この原型が感動的なまでに透けて見えてくる。彼女は外交の基盤に「スマート・パワー」(軍事力などの「ハード・パワー」と文化を基にした国際協力などの「ソフト・パワー」を総合するオバマ政権の外交指針)をと力む。しかしあらゆる難局を動かすべく智慧と手段を組み合わせ、自ら交渉の現場に臨んだヒラリーは、国務長官在任中に112カ国を訪れ、その総飛行距離は956万7332マイル(地球385周分)に達した。この姿勢は「スマートさ」よりも「底力」を感じさせずにおかない。

 筆者は2008年の民主党予備選にあたって、この「猛勉強少女」と「黒人と白人のハーフ」という2人の中西部人のいずれが民主党の指名を勝ち取れるか、ほとんど懊悩した。思えばオバマもまた、「ひたむきさ」と「猛勉強」によって自身を鍛え上げてきたのだった。

 さて、来るべきヒラリー「大統領」が立つことになるのが、アメリカを分断する「文化戦争」(カルチャー・ウォーズ)の戦場である。

 アメリカ政治は、ご存じのとおり共和党と民主党からなる二大政党制によって行われている。共和党が「保守」、民主党が「リベラル(革新)」という図式だ。だがそれが、政治のみならず人々の意識や生活といった文化領域にまで深く根を下ろした対立軸であることを理解している日本人は、少ないかもしれない。

 ここで触れなければならない人物がいる。「ウォーターゲート事件」で悪名高い、アメリカ合衆国第37代大統領リチャード・ニクソンだ。彼が、南北戦争において奴隷制廃止を掲げて勝利した「輝かしきリンカーンの共和党」を今日の保守反動政党に作り変えた張本人だからだ。ニクソンはその狷介さにより、上流WASPから成る共和党主流派から嫌われ抜かれていた。どうしても大統領の座を射止めたいニクソンは、南北戦争敗北の怨念がいまだ渦巻く南部民主党員を支持基盤に取り込み、新しい共和党の政権を確立することに成功する。

 映画『ニクソン』を監督したオリヴァ・ストーンは、ビリー・ワイルダーから「なぜあんな出来損ないの大統領を?」と訊かれて、こう答えた。「ニクソンは20世紀後半では最も重要な政治家だ。彼こそはアメリカを真っ二つに引き裂き、危うく内乱の執行者になりかけた」。監督が言うような実際のドンパチを伴う「内乱」は確かに起こらなかった。しかしそれは、「イデオロギー・レベルでの南北戦争」、すなわち「文化戦争」として発動し、今日もアメリカを分断して続いている。

 ヒラリーは今回の立候補にあたり取り組むべき課題として、経済・家族・安全保障・政治改革を挙げ、「4つの戦いを遂行し勝利する」と宣言している。この戦いもまた、「文化戦争」の熾烈な鍔迫り合いそのものなのだ。

 劣化をきたす前の共和党員だった若き日のヒラリーは、薫陶を受けた牧師ドン・ジョーンズの導きで民主党員に変わる。真摯なメソディストでもあった彼女は、師から教わった反ナチのドイツ系神学者ラインホルド・ニーバーの教訓を座右の銘とした。「現実を楽観的ではなく悲観的に捉え、最悪のシナリオを想定せよ。にもかかわらず、希望を失わずに現実に対処し、パワーの行使によって打開せよ」。

 この言葉ほど、彼女の姿勢に合致するものはない。大統領に選ばれたあかつきには、今や喧嘩集団と化した共和党の仕掛ける「文化戦争」に対抗できるのはもちろん、難題が山積する外交面でも威力を発揮できるだろう。

 本書は、類稀なヒロインの「原型像」が、その成長の過程にあって、いかに彼女のタービンであり続けてきたかを検証するものでもある。