漫画家・西島大介さんの代表作でもあるベトナム戦争を描いた『ディエンビエンフー』は、角川書店、小学館と出版社を変わりながら描き続けられてきた。そして、「ホーチミンカップ」というトーナメントバトルのさなか、12巻で『IKKI』版の『ディエンビエンフー』は物語が完結せずに終了した。物語は未完のままで終わるかと思いきや、双葉社から声がかかり『ディエンビエンフー TRUE END』として連載が始まった。『TRUE END』は最速3巻で完結するということが決まっている。

 2月10日には2巻が発売され、2月14日には双子のライオン堂からベトナムについてのエッセイ漫画『アオザイ通信完全版#2 歴史と戦争』も発売になり、9月には最終巻3巻の発売も決まっている。代表作でありながらも、二度の雑誌休刊に立ち会い、3社の版元を渡り歩くという文字通り「ドロ沼の戦争」「終わりなき戦争」と化した大長編『ディエンビエンフー』シリーズについて、西島さんにお話を聞かせていただいた。

■未完と打ち切りと初めての連載作品『ディエンビエンフー』

―― 新刊『ディエンビエンフー TRUE END』(以下『TRUE END』)の2巻が2月10日に発売になります。双葉社の『月刊アクション』で現在連載されていますが、西島さんは『TRUE END』は最短で3巻で終わると連載開始時から言われていました。

年内に3巻目が出て物語が完結します。この『ディエンビエンフー』シリーズはいくつかのバージョンがあったりして今まで読んでなかった人にはわかりづらい部分があるので、最初にこのシリーズの全体像について聞かせてください。

西島:最初の連載は角川書店から発売されていた『Comic新現実』で、それで角川版全1巻(2005年)が出ました。角川版は、雑誌が休刊してしまい、すぐには移籍先も見つからず未完でした。そのあとに小学館の漫画雑誌『IKKI』で2006年から物語をリスタートする形で連載開始。この『IKKI』版も雑誌休刊に会い、10年続けても完結せず、12巻出してまたもや未完。

『IKKI』版の11巻と12巻はもはや黒歴史というか、「なかったこと」というか、現在ではバッドエンドという形になってます。そして、去年から『月刊アクション』で始まったのが『TRUE END』です。打ち切りが二回。僕に運がないのか、描いていると雑誌の方が勝手に終わってしまう。

―― 西島さんは角川でそのまま続きをやろうとしてたんですね。

西島:あとから聞きましたが、心ある編集さんが移籍のために動いてくれたりはしてくれていたそうです。でもダメで。結局描いたところまでをまとめて、一冊出して終わるしかないということになって、それが角川版『ディエンビエンフー』でした。角川内に移籍先がないから「1巻」と打てなくて、外見だけだとなんとなく一冊で完結する本かのような雰囲気になっています。悔しかったですね。

―― 角川版の後に小学館で連載が始まるわけですよね。『IKKI』の編集さんから声がかかったんですか?

西島:たまたま編集者の知り合いの方を通じて、『IKKI』編集部に五十嵐大介さんの担当編集さんがいて、2005年に五十嵐さんと僕で共同フェアをやったんです。僕の『世界の終わりの魔法使い』と五十嵐さんの『魔女』の「"W大介の魔女ッ娘(コ)フェア"」という名前のフェアで、名前の「大介」と「魔女」つながり。五十嵐大介さんの担当さんが声をかけてくれて、小学館での移籍連載に繋がりました。

―― そうすると角川版から『IKKI』版はあまり時間は空いてないですね。

西島:そうですね。『IKKI』連載開始が角川版刊行の翌年。僕にとって初めての月刊連載。角川版が掲載されていた『Comic新現実』は発売が不定期だったので多くても年に4回ぐらいだったのかな? だから『IKKI』版の『ディエンビエンフー』はもっと本格的な月刊連載ですよね。僕は漫画家になったぞと思いました。

―― 西島さんはデビュー作『凹村戦争』が描き下ろしだったのもあるから、連載だと余計にそう思われたのかもしれないですね。

西島:そうですね。角川の未完があったから『IKKI』で連載を始める時に「この物語は完結をしない、ずっと続ける」と決意していました。

―― そもそも角川版の連載始まった時には、作品としてはどのくらいの長さを想定して描き始めたんですか?

西島:あの時はまだ1巻で完結する作品(『凹村戦争』『世界の終わりの魔法使い』)しか出したことがなかったので、長くても2、3巻ぐらいで終わる感じで想定してました。

―― 角川版が2、3巻で終わっていたら、今みたいな分岐した形にはなってなかったということですよね。

西島:そうですね。あのまま続いていたら、案外サクッと終わっていかもしれない。まさか『IKKI』版を12巻まで出しても終わらなくて、さらに完結編として『TRUE END』を3巻出すとは思ってなかった。やっぱり、角川版が未完になってしまったことが本当に嫌だった。

―― それは掲載誌だった『Comic新現実』が不定期だったし、休刊してしまったことは影響してるわけですよね。

西島:『Comic新現実』は大塚英志さんポケットマネーで作っているような気まぐれで自由な本だったから、急に終わることも仕方がない。でも、「気まぐれな本」っていいよね。

―― しかし、連載してる側からすると掲載誌がなくなって続けられなくなるのは困りますよね。

西島:そっか、よくないか。角川版を刊行した時の実感は「恥」でしたね。ああ、みっともないなって。本として未完成なものを、不完全なものを世に放ってしまった、と。作家として情けない。とても恥ずかしいと感じました。だけど、キャラクターがいいね、続き読みたい、面白いというポジティブな反応があって、その時初めて、ああ漫画読者ってそういう感じで読んでくれるんだなって。漫画ってこれかと。

―― そもそも『Comic新現実』を読んでた人がそこまで多くなかったってのもあるんじゃないですか。

西島:そんなことないですよ。刷られている以上は読んでる人がいるわけなので、僕『Comic新現実』嬉しくてノリノリで描いていましたよ。変わった雑誌だけど、初めての連載だったし。

でも、内容は掲載雑誌への反発ですよね。右と左で切り分けるのは乱暴ですが、大塚英志さんは普通に左翼な方だし、執筆者にもその傾向は大きくありました。じゃあ、そんな雑誌で僕がやるべきことは何だろうと考えて、その逆を行くしかない。思想的に偏りのある雑誌なら、その反対をやった方が目立つし、左翼にとって誇らしい戦争であるはずのベトナム戦争を、軽薄にチャラチャラと描こうというのが、企画の成り立ちです。飼い犬として飼われつつ、飼い主の手を噛んじゃうような。大塚さんとその仲間達の雑誌になるのならば、一人ぐらいは反対をやったほうがいい。この雑誌で僕が受け持つべき役目はこれだなと。

―― あとティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』も『ディエンビエンフー』シリーズにとって重要な作品ですよね。

西島:そうですね。ティム・オブライエン作品は重要。あの冒頭の言葉(*1)は「本当の戦争」を「本当らしく」伝えることは不可能という宣言文で、僕はそれを曲げて独自に解釈して、「嘘みたいな戦争」で対抗しようとしています。ああ、なんだか文学好きみたいですね。

*1「多くの場合、本当の戦争の話というものは信じてもらえっこない。すんなりと信じられるような話を聞いたら、眉に唾をつけたほうがいい。真実というのはそういうものなのだ。往々にして馬鹿みたいな話が真実であり、まともな話が嘘である。何故なら本当に信じがたいほどの狂気を信じさせるにはまともな話というものが必要であるからだ。」

ティム・オブライエン著・村上春樹訳『本当の戦争の話をしよう』より

―― そうですよ。十分文学好きなイメージがありますよ。

西島:だから、まず「左翼的媒体でベトナム戦争をポップに軽薄に描く」という考えがあって、その裏付けとして、帰還兵でもある作家ティム・オブライエンの言葉を使った形です。戦争に行った作家当人がこう言うのだから仕方ない。だからつまり、「まんが・アニメ的リアリズム」(*2)でベトナム戦争を描くってことですね。うん、一周して大塚さん的にも正しくなった。

(*2)大塚英志著『物語の体操』(2000年)で、大塚氏が提唱した概念。現実の写生するという「自然主義的リアリズム」に対して、小説家・新井素子さんがデビュー時に自らの作品に対して屈託なく、「『ルパン三世』のような小説」と口にした瞬間に、この国の小説にアニメやまんが的なリアリズムが小説に持ち込まれたとされている。虚構を写生する虚構という意味で「まんが・アニメ的リアリズム」という言われ方をするが、ゼロ年代以降の世界では当たり前のことになりすぎているためにあまり意識されずに使われている概念かもしれない。

―― あの時、『新現実』や『Comic新現実』で西島さんが圧倒的に若かった印象がありましたが。

西島:27とか28ぐらいでした。でも、これだけの時間が経って、あの頃一緒に載ってた人達とかはみんな偉くなっているのに、僕だけ何にもなってない。連載も終わらせられず、僕だけ低空飛行し続けている。なんのブレイクもしてないですからね。滑りっぱなし。

―― 滑りっぱなしだったらこんなに本を出せないですよ。

西島:いやいや、滑ってるからこんなに出しているのだと思います。ツルツルです。だってこの頃周りにいた人、東浩紀さんもコヤマシゲトくんも、新海誠さんも、みんな世界的に活躍されていますから僕から何も言えることはありません。底辺も良いところです。

でも、コンセプトも明瞭だし、今考えると角川版は完結していないこと以外は完璧ですね。各話タイトルが全部坂本龍一の曲名だったりとか。911への抗議運動としてデータ配布されていた岡本太郎「殺すな」のフリーデータを使ったりとか、若さ、意気込みを感じますね。

―― 芸が細かいですね。

西島:いい感じの坂本龍一のプレイリストになってて、そのままサントラになりそう。東南アジアを描いていると、どうしても『戦場のメリークリスマス』のイメージともかぶるし、大島渚は本当にいいですよね。西と東、連合軍と日本みたいな関係を越えて、男女を越えた愛の尊さ、不可能さみたいなものを、浮かび上がらせる。『ディエンビエンフー』は大島渚のエッセンスも強くありますね。モラルを壊すとか、タブー性とか、でもピュアとか、あと前衛性。大島渚はそういう作品をずっと作り続けているから。

―― 大島渚にも影響を受けてるんですね。

西島:好きです。世に対するアンチテーゼと、愛があるので。デビュー作『凹村戦争』を読んでATGっぽいね、っていう人もいました。だから角川版も、物語は映画的ですね。だから、『IKKI』に移籍後は映画や文学から加速して文字通り「漫画」になっています。角川版みたいな打ち切りは映画のようでかっこいいけど、漫画としては不幸。でも漫画雑誌に移籍するなら、無限に続けちゃおう。恐らくは角川でできなかった角川のシステムみたいなものを小学館に移植してるんです。

―― 角川的なメディアミックス的な想像力ということですか。

西島:うん、だから自分でサントラ盤を作ってみたりしてたのかな。『IKKI』は角川アニメのような洗練というよりは、全体的には泥臭いアングラさがあったんだけど、いや『IKKI』で角川式メディアミックスを今度こそやるんだって。だからキャラクターも増えているし、アニメっぽさは加速しています。

―― 確かに角川的なメディアミックスを『IKKI』でやろうとしてたというのは腑に落ちるというか。あのままずっと続けていける感じはありましたよね。

西島:『IKKI』でやるならもっと文学的なやり方もあっただろうし、むしろそういうことが許されてる場所だった。『IKKI』に移ってからアニメ的になったというか普通の漫画っぽくなった。で、願うことは「終わらない」こと。雑誌が。

―― 終わらないことが大事だった。

西島:それが漫画らしさだと考えていました。だから、12巻まで続いたんだと思いますね。『IKKI』のキャッチコピーが「黎明期」(*3)だったから、それならずっと続くよねってその時は思っていました。(vol.2に続く)

(*3)『月刊IKKI』は2003年2月25日に、前身であった『スピリッツ増刊IKKI』のリニューアル新創刊という形で月刊化された。江上英樹編集長によって創刊時からのキャッチコピーは「コミックは未だ黎明期である。」と掲げられていた。

取材・文/碇本学

<プロフィール>

西島大介/漫画家

1974年、東京生まれ。90年代末からイラストレーターとして活躍。2004年『凹村戦争』(早川書房)で漫画家としてデビュー。以降、『世界の終わりの魔法使い』(河出書房)、『ディエンビエンフー』(小学館)、『すべてがちょとずつ優しい世界』(講談社)、最新作『ディエンビエンフー TRUE END』が現在、『月刊アクション』で連載中。音楽活動としてDJまほうつかいとしてHEADZより『Last Summer』など音源をリリース。また、アート活動してクレマチスの丘NOHARAにて「ちいさなぼうや」展などを開催と活動は多岐に渡っている。