昨年末、12月30日に、88歳の生涯を終えていた直木賞作家の宮尾登美子さん。高知で「芸妓娼妓紹介業」を営んでいた生家を描いた『櫂』に始まる、自伝的小説シリーズや、直木賞を受賞した『一絃の琴』、ベストセラーになった『蔵』、大河ドラマの原作になった『天璋院篤姫』など、"過酷な運命に翻弄されつつも信念を貫く女性"を描いてきた宮尾文学には熱烈なファンも多く、たびたび映画・ドラマ化や舞台化もされています。
「なめたらいかんぜよ!」のセリフでおなじみ『鬼龍院花子の生涯』も、宮尾さんの代表作の1つ。五社英雄監督による同作の映画版は、かの夏目雅子さん演じる喪服姿の主人公が「わては高知の侠客、鬼龍院政五郎の、鬼政の娘じゃき、なめたら、なめたらいかんぜよ!」と啖呵を切るシーンで知られ、「なめたら~」は、1982年の流行語にもなりました。
表題からして、鬼龍院花子の発言と思われがちなこの科白ですが、実は、花子ではなく、もう1人のヒロインである松恵の言葉です。夏目雅子さんが演じているのも松恵で、花子ではありません。物語では、少女の頃に鬼政の養女になった松恵の目線から、"鬼政"こと、極道の親分・鬼龍院政五郎とその娘の数奇な一生を描いているのです。
ヤクザ稼業を厭って勉学に打ち込み、自分の力でたくましく生き抜いていく松恵とは対照的に、鬼政の絶頂期に生まれ溺愛されて育った花子は、鬼龍院一家の没落とともに悲惨な晩年を迎えます。華やかな少女時代から一転し落ちぶれていく一生こそが、任侠道に生きた鬼政の生涯を象徴しているのかもしれません。本作の事実上の主人公は、鬼政にほかならないと言えるでしょう。
また、「なめたら~」の啖呵は、原作には登場しません。宮尾さんの著書『記憶の断片』(飛鳥新社)に収録されている「『鬼龍院花子の生涯』秘話」によれば、「私原作の現在までの作品六本のなかではいちばんできがよく、また原作の筋に忠実だった」と映画版を評価しながらも、「夏目雅子の科白は原作には全くないもので、脚本家の創作だが」と断りを入れています。試写を見た時は、映画オリジナルのこの科白にビックリ仰天し、映画公開後は「なめたらいかんぜよの宮尾さん」と言われることになり、困惑したと明かしています。宮尾文学の代名詞ともいえる本書、この機会に、映画版と比較しながら手に取ってみてはいかがでしょうか。