人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「有明海」について。

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 見渡す限りの砂地に散った真白い貝殻。それらはみんな死んでいる。よく見ると干からびた魚の屍も。多くはムツゴロウをはじめとする有明海に棲息する、いや棲息していた魚たちだ。

 諫早湾の干潟で、潮が来ると飛び跳ね、生きる喜びを体中で表し、ギョロリとした目を精一杯開いて動き回っていたのに。近隣の漁師はそれらの小魚や貝をとることを生業とし、少し沖では海苔の養殖が営まれていた。

 一面に広がる貝と魚の墓標を前にして、私たちは言葉を失っていた。

 一九九七年四月、全長七キロにわたる堤防で諫早湾が閉め切られた。国策の干拓事業で、巨大な潮受け堤防が造られ、多くの生き物たちが海水の恵みを受けることを妨害され、苦しみ、のたうちまわった末、死に絶えていったのだ。

 海が鋼板で閉め切られる映像は何度もテレビニュースで繰り返された。通称「ギロチン」と呼ばれた光景。水しぶきをあげながら、左から右へ鋼板が一枚一枚、不気味な音を響かせながら海中に落とされていく。そのたびに、タイラギという特産の二枚貝やムツゴロウたちの悲鳴が聞こえた。耳をふさぎたくなるあの音を忘れない。

 人間が自分たちの収穫物を必要以上に多く作るために、海だった場所を勝手に埋め立てていく。

 目的は、農地造成と低地の高潮・洪水対策だというが、そのために漁場を失う多くの漁師たちの反対にもかかわらず、宝の海は閉め切られた。

 私は自分がギロチンにかけられたかのような苦痛に耐えられず、何人かの日本ペンクラブの仲間と共に現地へ向かった。

 殺風景な空の下、国の農林水産省の事務所がある。当時のペンクラブ会長の梅原猛さんと共に、係の人と連絡を取った後、対面で抗議するために向かったが、ていよく入口で断られ、建物の中に入ることさえ拒否された。あの時のけんもほろろな挨拶は今も忘れない。梅原会長はその時のことをのちに新作狂言「ムツゴロウ」として創作され、国立能楽堂で狂言の茂山一家が上演した。

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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