実家に電話をすることを控え、心のなかで考えることも標準語に変換するなど努力を続けた。ひたすら芝居をすることでひとつひとつの課題を乗り越えた。だが、山のような仕事をこなしながらも、常に自分の許容を超えた仕事を与えてもらっている気がしていた。

「本来の自分ではない“沢口靖子”のイメージが先行している感覚がずっとしていました。特に20代、30代前半は、そのギャップに対するジレンマ、焦りや苦しみがありました。例えばスーパーに行ってふっとオレンジジュースや牛乳を手に取ろうとしたときに『沢口靖子がこれを買っていいかしら』と考えている自分がいるんです。常に他者の目線を気にして、どこか自由じゃなかった」

 あるとき、「これではいけないな」と気づいた。

「もっと自分主体で、まず自分は何がしたいのかを思って行動しないといけない。表現者としても俳優としても、もっと地に足を着けていかないといけない、と思ったのです。それからは自由になれた気がします」

 当時、コマーシャルでみせたコミカルな一面も大きな話題になった。

「みなさんから『え? 関西の方だったんですか?』と(笑)。私はお笑いで育ってきたのでそういう血は流れていますし、自分としては私のなかにあるものをちょっと誇張して演じた感じだったのですが、知らない方にとっては驚きだったみたいです」

(中村千晶)

沢口靖子(さわぐち・やすこ)/1965年、大阪府生まれ。84年、第1回「東宝シンデレラ」グランプリとなり、同年の映画「刑事物語3 潮騒の詩」でデビュー。85年にNHK連続テレビ小説「澪つくし」でヒロインを演じ、数々の映画やドラマに出演。99年から「科捜研の女」シリーズでヒロイン榊マリコを演じる。「科捜研の女 −劇場版−」は9月3日から公開予定。

>>【後編/“悟りの境地”? 沢口靖子「表現者として自分を解放したい」】へ続く

週刊朝日  2021年9月10日号より抜粋