慶喜公にとってこの尊王の教えがその後、国を治める判断の基準になっていたのは間違いないでしょう。

 鳥羽・伏見の戦いで江戸に逃げ帰った腰抜けと評する方もおいでですが、突然将軍に祭り上げられ、国難に対処しなければならなかった慶喜公は腰抜けなどではないと、慶喜公の名誉のためにも強く言いたいですね。天皇に対して弓をひくことなど許されないことだと考えていたからだと思います。それこそ尊王の教えに逆らうわけですからね。生母の吉子様は皇族です。自分の母の親戚を敵にすることもしたくなかったと思います。

大政奉還、そして鳥羽・伏見の戦いでの撤退も国を守るための英断だったと思っています。

 今後、慶喜公はドラマでどう描かれるかわかりませんが、草なぎさん演じる慶喜公は強い意志を持った人だったということを知ってほしいですね。

 そういう慶喜公を祖先に持つことをとても誇りに思っています。

 私は現在、公益財団法人徳川ミュージアムの理事長をしています。水戸徳川家に伝わる宝物などを保存展示しています。そういえば、ドラマ内で竹中直人さんが力強く書いた「尊攘」の本物の掛け軸もありますよ。

 大政奉還の上表文で、「廣ク天下之公議ヲ盡シ……」(広く天下の議論を尽くし……)と記し、心を一つにして協力して日本の国を守っていったならば、必ず海外の諸国と肩を並べていくことができるでしょう、と記しています。

 これは慶喜公が未来へ託す願いであったと私は考えています。「青天を衝け」はその思いを今一度私たちの心に刻み込んでくれるはずです。

とくがわ・なりまさ 1958年生まれ。水戸徳川家15代当主。慶応大学卒業後、東京海上日動火災保険に入社。現在は同社の常勤顧問と徳川ミュージアム理事長など多くの役職を兼任している。

週刊朝日  2021年5月21日号