高揚、憤懣、挫折、信念…当事者が語る「学生運動」の真実 (1/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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高揚、憤懣、挫折、信念…当事者が語る「学生運動」の真実

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「きみが死んだあとで」で使われた当時の映像から(c)きみが死んだあとで製作委員会。4月、東京・渋谷のユーロスペースほかで公開

「きみが死んだあとで」で使われた当時の映像から(c)きみが死んだあとで製作委員会。4月、東京・渋谷のユーロスペースほかで公開

三田誠広さん(左)と代島治彦さん  (撮影/写真部・掛祥葉子)

三田誠広さん(左)と代島治彦さん  (撮影/写真部・掛祥葉子)

 いまから半世紀前、「ベトナム戦争反対」を掲げ行動した若者たちがいた。あの日々を、そしてその後を彼らはどう生きたのかを描いた映画「きみが死んだあとで」公開を機に、代島治彦監督と映画にも登場する作家の三田誠広さんが「学生運動」について語り合った。

【三田誠広さんと代島治彦さんの写真はこちら】

*  *  *
──タイトルの「きみ」とは1967年10月8日、佐藤栄作首相(当時)の南ベトナム訪問を阻止しようと学生たちが羽田空港に通じる橋の上で機動隊と衝突、亡くなった京大生の山崎博昭さんをさします。全共闘運動を描いた『僕って何』(77年)で芥川賞を受賞した三田誠広さんは、山崎さんと大阪の大手前高校の同学年でした。

代島:『僕って何』は「僕」を主語にしていましたが、当時の学生運動の映像を見返すと等しく「我々はー」なんですね。そのほうが勇ましいというのもあったのでしょうけど、皆が主語を「我々」としたのはなぜでしょう。

三田:それは学生運動もまた全体主義なんですよ。「私」を捨てて組織に埋没するという意味では。まずセクトごとに色分けされたヘルメットを被る。防御のためではあるんですが、あれを被ることで兵隊さんみたいな感覚になるんですね。右だといわれたら右に行く。同時に「不安な自我」を癒やしてくれるものでもあって、「俺は○○だ」と党派名を口にすることで将来に対する悩みが一瞬消えてしまう。

代島:この映画の中で、ヘルメット姿の山本義隆さん=当時・東大全学共闘会議(全共闘)代表=が演説されている場面が映ります。「我々、東大全共闘は」と言う。その山本さんが1年半留置場に捕らわれ外に出てみたら世の中は変わっていて「僕」に戻れたと話されていましたが、この50年の間にこの映画に登場する皆さんも色んな思いをしてきているんですよね。

 それでまずお聞きしたいのは1967年10月8日の山崎博昭さんの死を、三田さんは当時どういうふうに受け止めたのでしょうか?

三田:私は登校拒否をやって1年高校を落第しましたので、あのときは高校3年生だったんですね。1年後に早大に入ってから全共闘運動に参加しましたが、あの場にいなかった悔しさのようなものを感じていたとは思います。


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