安野光雅さんのスケッチ旅行は楽しい。話しかけても怒らない。つい友達気分になってしまう。写真は2005年秋、79歳の安野さん(「週刊司馬遼太郎」『国盗り物語』の取材で訪れた岐阜市の長良川河畔で) (撮影/写真部・小林修)
安野光雅さんのスケッチ旅行は楽しい。話しかけても怒らない。つい友達気分になってしまう。写真は2005年秋、79歳の安野さん(「週刊司馬遼太郎」『国盗り物語』の取材で訪れた岐阜市の長良川河畔で) (撮影/写真部・小林修)

 司馬遼太郎さんの「街道をゆく」のパートナー、安野光雅さんが昨年末、急逝した。3月13日(土)に発売される週刊朝日ムック「司馬遼太郎の戦国 明智光秀の時代」では、安野さんの作品も多数掲載。「週刊朝日」編集委員で、司馬番の村井重俊記者が、安野さんの愛すべきウィットの世界をご紹介します。

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 安野さんが「街道をゆく」の装画を担当するようになったのは1991年秋の「本郷界隈」からだった。以後、「オホーツク街道」「ニューヨーク散歩」「台湾紀行」「北のまほろば」「三浦半島記」「濃尾参州記」まで、司馬さんとの旅は続くことになる。

 司馬さんはもともと安野さんの絵のファンだったから、安野さんとコンビを組むことを喜んでいた。

「ヨーロッパの町並みを歩いているとだんだん心が落ち着き、これって何だろうと思い返し、ああ安野光雅の絵の世界だと思ったことがある。なんだか安野さんの絵の中を歩いているような気持ちになった。そういう秩序感は他の人の絵ではなかなか味わえないね」

 しかし、こうもいっていた。

「ただ、『街道をゆく』はなあ、あまりパッとしないというか、人の行かない場所に行きがちだから、安野さんの世界とはちょっと違う。なんだか申し訳ないね」

 一方、安野さんも最初は緊張していたようだ。「オホーツク街道」の取材は91年秋と92年正月にあり、安野さんは正月の旅から参加している。ホテルの朝食のとき、安野さんがポツリといったことがあった。

「『街道をゆく』はおもしろいけど、僕の絵に合うかなあ」

 顔は不安そうだが、バイキングで取ってきた皿は満杯、ご飯も大盛りだった。そんな安野さんの話を司馬さんにすると、司馬さんは楽しそうに笑っていた。

 だんだんと安野さんの人柄が司馬さんにわかってくると、「街道をゆく」に安野さんが頻繁に登場するようになっていく。

<安野画伯は、写実家である。

 しかし、この人の絵はかすかに離れて、たとえば中世の修道士の遊魂が、尖塔(せんとう)の上から自分の故郷の町並を見おろしているような、なつかしさと澄んだ空気がある>

 と、司馬さんは「オホーツク街道」で褒めたあと、リンゴの話を書いている。司馬さんがあるときいった。

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