でも秘書だから、そこはアメとムチですね。でも本当の戯れは、自分と戯れることなんですが、そんな美しいことは言っておれません。相手の自信を如何(いか)になくさせるか、という方法を考えて下さい。でも、彼女達はへこたれそうにないですね。愛を憎しみに変えて遊んで下さい。第三者的には、大変面白い話です。と言ってチャカすと、今度はセトウチさんに叱られる。セトウチさんとマナホ君達の間で今度は僕が悩むことになります。セトウチさんの講話を聴いた人は、なんてヤな友達(僕のこと)を持っているんですかと、言われそうです。芸術は厳しい世界です。と同時に破壊的なパワーを秘めています。問題が起こりそうです。さて、どうなるんでしょう? では。

■瀬戸内寂聴「寂庵は仏教塾でなく絵画塾に」

 ヨコオさん

 おおせの如く、寂庵は今や仏教塾ではなく、絵画塾になっています。あらゆる部屋に、何かしら、絵の道具がちらかり、出来損ないのアトリエまがいです。寂庵のすべての行事はコロナでお休みなので、寂庵の中が、そんなに変(かわ)っているとは、誰も想像も出来ないでしょう。

 それにしても油絵は水彩画より、はるかに面倒くさい。とにかく絵具がまだ使いこなせません。

 でも、気に入らなければ、その上に絵具をベタベタ塗りつければいいのは、とても便利です。

 水彩の絵具で描くと、日がたつにつれ色が変ってくるのは不都合です。よく行く川端ののみや「松」の亡くなった主人が、いつか私の描いた水彩の「あざみ」の絵を持ち帰り、私が行く日には、私のいつも腰かける席に近い壁に、その絵をかけてありました。私の行かない日は、宮内庁のおえらいさんの色紙がかけてありました。

 20年ほど前、東京から時々絵描きの女の先生が来庵して、寂庵は月一回、絵画塾になりました。毎回塾生でいっぱいになり、その先生は、絵具は三色に白しか使わず、草や花の絵は根から上に向かって描くという方法です。一年もたたないで、展覧会を開くほどになり、みんな自分の絵を買い占めるので、後片付けは楽でした。「松」の壁の「あざみ」は、その頃の作品です。と書くと、まるで私に絵の才能があるようですが、自覚している自分の無才能は音楽が第一です。

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