息子たちは成長し、「僕はママじゃないからママと同じようには考えないからね」と諭してくれます。すごくおおらかな子たち。幸せです。

 6年前には豪州に家族で移住し、母とはネット通話で話す間柄です。

 一昨年に父を見送りました。母は現在83歳。いつかは彼女ともお別れすることになるのかと思うと、話すたびに看取りの気持ちです。

 母が旅立ったときは、「もっとそばにいてあげればよかった」ときっと後悔すると思います。でもそばにいたら私は壊れてしまう。私には私の人生があり、自分やそして息子たちを守らなければならない。いつまでも母にとらわれてはいられません。雀のように愛情で握り殺されないためにも。

「子どもは生きているだけで親孝行」とおっしゃった精神科医がいます。しんどかったら会わなくてもいいのだと。そのとおりだと思います。

 豪州に出発するとき、空港で両親と別れた後、涙が止まらなくなったのを覚えています。でも隣にいた夫が「僕から見たら慶子、十分親孝行しているよ。2人とも幸せそうだったよ」と言ってくれました。

 強烈な母という存在がいたおかげで私は誰からも愛されたことがないという思いはせずに済みました。でもいまだ発見/認識されていない私に母はいつ気づくのやら。もしかしたら一生発見されないのかもしれません。

(本誌・大崎百紀)

週刊朝日  2020年9月25日号