セトウチさんは、この年だからこそ描ける無手勝流でいいのです。僕も美術の専門学校へは行かないで独学で描いてきました。絵を描くことは頭から雑音を排除することです。「教え」は雑音です。プロになる画家は、この雑音と闘うのです。今のセトウチさんは無菌状態です。そのままでいいのです。雑音はコロナです。セトウチさんが現在、僕が画家に転向した45歳位だったら、雑音もいいでしょう。

 でも今の年では雑音は頭も身体も拘束します。やっていいこととやっちゃいけないことの分別が邪魔をするのです。誰にも教わらない、今の素のままの状態こそ、セトウチさんの才能であり、宝物です。他のことなら教わってもいいでしょうが、絵は他のものとは別の存在です。でも、素人のおばさん達に「ウワー、先生、きれい、本物みたい」と言われたいのなら、どうぞ先生について教わって下さい。先生は期待に応えてくれるでしょう。僕はセトウチさんの手が描くのではなく、心と魂が描く絵が見たいのです。まあ、セトウチさんの人生ですから、お好きなことを目指して下さいと言うべきだったかも知れません。84歳の若造が何をエラソーなことを言うか、と思われるかも知れませんが、絵に関してはセトウチさんより、年長者です。往復書簡50回を祝して、さらなる愛を込めて。

■瀬戸内寂聴「ヨコオ画伯うならすどんな絵描くか!」

 ヨコオさん

 月日のたつ速さ! この往復手紙が早くも50回ですって? 近頃よく、「ヨコオさんとの手紙読んでますよ」とか、「週刊朝日ね。まずアレから読みます」など、声をかけられます。

 50回記念の今度など、どこかから、花やお菓子でも贈ってくれるかも!

「さもしい空想をするな! 見苦しい!」

 とヨコオさんの怒声が飛んできそう、ワア! こわ!

 私、ヨコオさんを見そこなっていた。ヨコオさんはれっきとした天下の天才なのに、とても優しくて、心根が穏健で、他人に怖い顔など見せたり、きつい言葉を浴びせたり絶対しない御仁だと信じこんでいたのです。半世紀もつきあって、かつて一度も、あなたから、きつい声をかけられたり、きびしい人への非難など聞いたことがなかったからです。人間に対してどころか、あなたの博愛は地球の森羅万象にまで及んでいました。

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