作家の下重暁子さん
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※写真はイメージです(c)Getty Images
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、久しぶりに訪れた勘六山について。

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 海抜二千メートルの高峰高原からの眺め。八ケ岳の頂上に雪が漂っている以外は快晴。梅雨というのに、晴れ女の面目躍如である。

 小諸に住む友人の車で高原ホテルで昼食をとったあと、山頂から眺めた眺望の真ん中へまっすぐ下ってゆく。目的は勘六山、千曲川の赤い橋を渡り、布引観音や御牧乃湯を通り過ぎ、たしか、このあたりの畑の中を右に上がったはずと、うろ覚えの地理をナビがなぞってくれる。

 作家、水上勉さんが晩年を過ごされた場所を私は何度も訪れている。最初は佐久出身の作家井出孫六さんに連れてゆかれたのだ。

 水上さんは一九一九年、福井の生まれだから生誕百年を過ぎたばかり。去年伺えなかったので、一日も早くお詣りにと思っていた。

 だが、突然の訪問で現在その家で暮らす娘の蕗子さんが不在ということもある。その時は、家の外から手を合わせてと思って、勘六山の入口の坂道を登る。

 通い馴れた道だ。めったに吠えない気の優しい雌の飼い犬がいつも出迎えてくれた。

 水上さんは、この勘六山に軽井沢から移り住み、親しい人々を近くに住まわせた。ご自宅の隣には小川が流れ、竹紙をすく仕事場があった。骨壺などの焼き物を焼いた工房は、当時からいた角りわ子さんが独立していまも営んでいる。

 自宅のまわりを親しい人々が囲んでいたが、北側の一角だけがまだ空いていた。

 私とつれあいは、当時、軽井沢から小諸の間で、夏を過ごす家を探していたので、水上さんは隣が空いているとすすめて下さった。目の前に浅間がそびえ、

「月を見ながら酒を飲むのは旨いぞ!」

 という話につれあいは大いに惹かれたようだ。井戸もご自宅から分けて下さるという。私も浅間が大好きなので、その気になりかかったが、車の運転をしない私は一人で移動が難しく、残念ながら諦めざるを得なかった。

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