マンガとかアニメというのは(一部に例外はあるが、)基本にデッサンがなく、いわば様式化と定型化の世界だから、人体のプロポーションはむちゃくちゃだし、顔は大きな眼と小さい鼻、尖(とが)った細いあごで描かれている。ひどいマンガやアニメだと、(同年代の)男も女もおのおの体型と顔の部品は同じで、髪形と髪の色、衣装のちがいだけで、人物を描き分けている。なので、編集者が単行本の表紙にイラストレーターを起用したとき、そのイラストレーターがマンガやアニメ出身だと、どうあがいても顔や手足がマンガになってしまう(人物デッサンは、あらゆるデッサンのなかでもっともむずかしい)。

 すると、イラストレーターはどんな表紙絵を描くのか──。顔を描かないのだ。人物は後ろ姿のみ(顔を描かないことで読者に想像させる、といいわけする)。ぎりぎり横顔くらいは描いてみるが、そうなるとデッサンができていないからマンガになってしまう。

 マンガがなぜいけないのか──。類型には画家のオリジナリティーとアートが感じられないからだろう。学園もののライトノベルなどにマンガはなんの違和感もないし、むしろそのほうがいいかもしれないが、歴史小説や時代小説にマンガふうイラストというのはいかがなものか。

 装幀家・多田和博とそんな話をよくした。「近頃のイラストレーターは着物を描けない。髷(まげ)の描きわけもできない。刀の柄(つか)さえ描けない」と、彼はいった。

 多田さんが手がけた単行本の表紙にデッサンがあやふやなものはない。

週刊朝日  2020年5月29日号

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黒川博行

黒川博行

黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

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