美智子さまが51歳のときに子宮筋腫の手術を受け、退院した日のことだ。

 宮内庁病院の玄関で、当時の礼宮(秋篠宮)さまや紀宮さま(黒田清子さん)とともに待っていた、明仁殿下(上皇さま)の胸に、そっと顔を寄せた。ご夫妻の「絆」を垣間見るような瞬間であった。

 上皇ご夫妻を長年知る人物は、こう口にする。

「美智子さまのなかには、ご自分たちが愛し合って生きてきた一面もある、ということを知っていてほしいという思いが、悲しいまでにおありになる」

 この話が意味することは何か。

 いまから60年前、おふたりがご成婚を2カ月後に控えた1959年2月6日。自民党の平井義一衆院議員は国会で、宇佐美毅宮内庁長官に迫った。

「皇太子殿下が軽井沢のテニス・コートで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、(中略)私の子供と変わりない。これが果たして民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい」

 これに対し、宇佐美長官は、

「世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません。(中略)われわれも御推薦申し上げ、殿下も冷静な観察をなさって御決心になった」

 と「恋愛」を否定した。「恋愛」が問題視されたのはなぜか。元朝日新聞記者で当時、お妃選考の取材を担当した佐伯晋さんは、こう話す。

「恋愛か、宮内庁が誘導したアレンジド・マリッジか──これはデリケートな問題でした。というのも、米国人の人妻と恋に落ち、英国国王の座を捨てた1936年のエドワード8世のシンプソン夫人事件を想起させたのです。つまり、恋愛は皇室を不安定にするものだ、という意識が一部の国民の間にあった時代でした」

 恋愛と明言すれば反発する人たちがいる。逆に宮内庁のアレンジだと言えば、宮内庁は民間から作為的に妃を選んだ、と攻撃される。おふたりにとって、苦しい時期だった。

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