三島由紀夫「老人の作家になりたくない」 瀬戸内寂聴との手紙で明かす (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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三島由紀夫「老人の作家になりたくない」 瀬戸内寂聴との手紙で明かす

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瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。

瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)

 半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。

【横尾忠則さんの写真はこちら】

*  *  *
■横尾忠則「北斎とセトウチさんにとって百歳って」

 セトウチさん

 北斎が90歳の時、「あと10年生かしてくれたら宇宙の真理が描ける。もしダメだったら5年でもいい」と神仏に願ったらしい。あと10年といえば百歳です。当時の百歳なんて人類の頂点であり、自己の頂点の完成形でもあったのです。セトウチさんは北斎を遥(はる)かに越えました。

 ところが最近の北斎の伝記や年譜では北斎の死亡年齢が数えの90歳から88歳に修正されています。われわれ戦前生まれの者は数えが常識で、国民学校に8歳で入ったのに、終戦と同時に数え呼びが中止されたようです。理由は知りません。きっと西洋近代主義の導入で、戦前の日本の人の「無駄」な風習や概念が一掃されたからでしょうか。同時に日本人の古来の風習や行事など、四季のいとなみや、昔の宇宙観なども生活レベルから変えられてしまったような気がします。西洋人から見れば「無駄」だと思えることも日本人にとっては「生きる知恵」だったはずです。

 無駄は経済至上主義の社会にとっては天敵だったんでしょうね。僕は近代人というより半分は昔の人間です。今の世の中を見ていると、寸善尺魔の生きにくい社会に出てきたなあと思います。でもこれも過去世から連綿とつながる時間の中では自分の魂のためには必要不可欠な「時」なのかも知れません。

 北斎が吐いた名セリフは彼が90歳だから出た言葉です。あと10年で百歳、北斎の言葉には言霊が宿っています。現代呼びの88歳ではこのセリフは出なかったはずです。90歳になって初めて出た言葉です。大正生まれ、激動の昭和を生きて、平成から令和四つの年号をまたいでこられたセトウチさんは今では数少ない時代の証言者です。セトウチさんにとっては百歳は「へ」でもないです。セトウチさんは来年数えで百歳です。今年は数えで99歳のはずです。これからは、数えで99歳と言ってもいいんじゃないでしょうか。近代に対する抵抗です。


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