江戸時代、尾張藩だったころは、徳川御三家の筆頭で62万石あった。8代将軍吉宗の享保の改革に徹底して対抗したんです。「暴れん坊将軍」なんて言ってますけど、あれは吉宗役を演じた松平健のイメージであって、実際は辛気臭い人物のようでした。有名な話では、女性に、かんざし挿したらいかんとかね。そんなことしたらかんざし職人が失業してしまう。税率も四公六民から五公五民に上げた。実はとんでもないことをした将軍だったんです(和歌山の人に怒られるかな)。

 尾張藩第7代藩主の宗春さんは、税金上げたらいかんと、自由経済政策で尾張名古屋は活気づいた。ほいだけど、幕府の倹約令に従わんかった咎(とが)で失脚させられるわけです。その恨みが宗春さんの死後、「尾張騒動」として勃発します。1777年に10代将軍家治の毒見役が死んだことから、尾張藩による将軍毒殺の謀略が発覚する。うちの祖先の藩士、河村秀根も嫌疑がかけられ、ひどい拷問を受けたそうです。首謀者は獄門打ち首の刑になりましたが、秀根は釈放されました。

 クーデターを計画したことで、幕府は尾張藩の力を削ぐことに熱を入れた。その後の藩主はみんな幕府からの天下りになってしまった。この300年の尾張名古屋の怨念を晴らさないかん(笑)。

※1 演歌のタイトル。法善寺横丁は大阪・なんばにある石畳の路地。

週刊朝日  2016年11月11日号