衆院選で圧勝した若き日の慎太郎氏 (c)朝日新聞社
衆院選で圧勝した若き日の慎太郎氏 (c)朝日新聞社

 豊洲市場移転問題の「戦犯」探しが佳境を迎える中、石原慎太郎元知事が敵前逃亡。小池劇場によってかつて栄華を誇った「石原ブランド」が破壊されつつある。石原氏側近の副知事として都政で「剛腕」をふるった浜渦武生氏によると、実は小池百合子都知事と石原両氏の間には半世紀に及ぶ知られざる“恩讐”があった。その彼方に待ち受ける結末とは──。

「小池劇場」の主要人物である小池氏、石原氏、浜渦氏。この3人には、40年以上に及ぶ“腐れ縁”がある。浜渦氏が振り返る。

「『大年増の厚化粧』発言をした集会には、(石原)伸晃さんから『お父さん、増田(寛也)さんを応援してよ』と頼まれ、石原さんは出た。私もその場にいましたが、石原さんは常々、『私は参議院議員に立候補したときに、小池さんのお父さんにお世話になった』という話もしていたんです」

 68年、石原氏が参議院選挙に初めて立候補したとき、関西の選対で陣頭指揮を執っていたのが小池氏の父、勇二郎氏だった。

 当時、勇二郎氏はエジプト政府とパイプを持つ石油の貿易商で、小池一家は兵庫県芦屋市の邸宅で暮らしていたという。

 勇二郎氏は無類の政治好きで、石原氏が政界デビューした際につくった政治団体「日本の新しい世代の会」に参加。69年には勇二郎氏も兵庫2区から衆院選挙に出馬。浜渦氏はその選挙を手伝ったという。

「石原さんから『勇二郎さんの選挙を手伝ってくれ』と頼まれ、鴻池祥肇さん(参議院議員)と百合子さんの兄さんと一緒に手伝いました。百合子さんはまだ学生でしたね」

 だが、落選が濃厚になると、人が離れていった。

「選挙戦の最終日、勇二郎さんと鴻池さんと私の3人だけになった。3人で尼崎のガード下で焼き肉を食ったのを今も忘れられません」

 結果は約7千票で落選。商売をほったらかして政治に夢中になり、成功していた会社も倒産し、債権者が小池家に押し寄せた。

 石原氏の有力後援者で当時、空調工事会社「ナミレイ」を経営していた政商、朝堂院大覚氏(75、本名は松浦良右)が小池一家を大阪から逃がし、都内のアパートを用意。その後、小池家は朝堂院氏の支援でエジプトのカイロで日本食レストラン「なにわ」を開き、生計を立てたという。

 当時、カイロに留学中だった小池氏はその後、帰国し、アラビア語通訳からニュースキャスター、政治家へと華麗なる転身を遂げる。

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