Amazonで購入する"
">
"ワールド・フィギュアスケート No.25
Amazonで購入する"

 明智光秀による本能寺の変で天下統一を目前にして倒れた武将・織田信長。彼の遺伝子を受け継ぐ織田家18代当主の織田信孝(のぶたか)さんは、元フィギュアスケート選手・織田信成さんが五輪で表彰台を逃した理由をこう分析する。

*  *  *

 織田信長の末裔と紹介されると、最も多く尋ねられる質問は何だと思いますか。家訓やお宝があるか聞かれることも多いが、実は最も多いのは、「フィギュアスケートの織田信成とはどういう関係ですか」である。先日、織田長益(ながます)[有楽斎(うらくさい)]の末裔の織田裕美子さんに会ったら、彼女も「それ、ものすごくよく聞かれる質問ね」と言っていた。

 信成君(敬意を込めて君づけで書く)は、オリンピック選手という有名人だから、そういう質問が出ても不思議ではない。信長の末裔は彼だけだと思っている人もいるようである。

 しかし結論から言うと、私の家と彼の家はまったく関係がないし、私は彼についてまったく知らなかった。

 というのは、同じ織田家でも大名家は(近い分家は別にして)、旗本家とはほとんど交流がなかったからだ。さらに明治以降は大名家は華族になり、別世界で生きていたからなおさらである。大名家だった織田家はどこも、彼がフィギュアスケートで有名になるまで、そんな家系があることすら知らなかった。

 伝え聞くところ、信成君は信長の七男の末裔で、江戸時代は旗本高家(儀式や典礼をつかさどる家格の高い家)であったそうだ。織田信長には11人も息子がいて、何人かが江戸時代に旗本になった。そうした家の一つなのだろう。途中の何代かが不明だとも聞いたが、私にはその真偽を判断することはできない。

次のページ