その名も“はてなし” 田んぼが山の中に浮いている… 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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その名も“はてなし” 田んぼが山の中に浮いている…

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 詩人、エッセイストの佐々木桂さんが、日本津々浦々に残る田園風景とその米を紹介する本誌連載「美し国、旨し米」。今回は「日本で最も美しい村」連合に加盟している十津川村の果無(はてなし)集落。尾根道の中腹に位置しているため、山の中に田んぼが浮いているように見える。

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 狩猟民族と思われてきた縄文人が、実は弥生人より早くから農耕も手がけていたらしい。では、縄文人の稲作とはどんなものだったのか。

 稲というと、田んぼで育てる水稲をイメージする人が多いが、お米は畑でも育つ。種もみを畑に蒔(ま)いてできる稲を陸稲(おかぼ)といい、縄文時代は、焼き畑農業でこの陸稲を育てていたと推測されている。陸稲は、水稲より収穫できる量は劣るが、病気などに強く、育てるのに手間が掛からないという強みがある。今でも一部の農家では、陸稲でお米の収穫をしている。

 縄文時代晩期になると、朝鮮半島からの渡来人によって水稲が持ち込まれ、陸稲と水稲が混在していたと言われている。また、この水稲も、すべてが朝鮮半島伝来ではなく、中国や東南アジアから直接渡ってきた種もあることがわかってきたとか。

 日本人にとって身近なお米。そのルーツはなかなかに深い。

週刊朝日  2015年6月19日号


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