AERA dot.

「疲れ切って走れません」東京五輪後自殺した円谷幸吉の人生

このエントリーをはてなブックマークに追加
週刊朝日#五輪

英国選手と2位争いを演じる円谷幸吉 (c)朝日新聞社 

英国選手と2位争いを演じる円谷幸吉 (c)朝日新聞社 

「円谷さんは東京五輪の直後から、『国民の前でぶざまな姿をさらしてしまった』と自らを責めていました。亡くなる半年前の大会でも、腰に故障を抱えながら『メキシコで日の丸を掲げる』と思いつめていました。友人として『そこまで追い込まなくても』と声をかけるべきでした。自分になら救えた命だったかもしれません」(君原)

 メキシコ五輪に出場した君原さんは、「円谷さんの分も」と意気込み、最終盤まで2位につけた。ゴールとなる競技場の手前で、後続に迫られた。後ろを振り返ってそれを確認すると、新たなパワーが沸き起こった。2位を死守し、銀メダルに輝いた。

「なぜあのとき、普段はしない『振り返り』をしたのか、実はいまでもわかりません。きっと、天国からの円谷さんのメッセージだったと思います」

 このレースには五輪3連覇を目指したアベベも出場していたが、故障もあり17キロ付近で棄権した。その後は母国に戻り、英雄として恵まれた立場にいたが、交通事故で半身不随となり、73年に41歳で亡くなった。

 君原は31歳で挑んだミュンヘン五輪で5位入賞を果たして、第一線を退いた。72歳となったいまも、市民ランナーとして、フルマラソンに挑戦し続けている。昨年の東京マラソンは3時間37分で完走した。

 円谷の故郷、福島県須賀川市で開かれる「円谷メモリアルマラソン大会」に、毎年参加している。今年の10月に走るときは、「円谷さん、東京に五輪が戻ってきますよ」と墓前に報告するつもりだ。

週刊朝日  2013年9月27日号


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

   五輪 をもっと見る
このエントリーをはてなブックマークに追加