2020年夏季五輪の開催地に東京が選ばれた。56年前に開催された1964年の東京五輪のマラソンで命がけの戦いを演じたメダリストは何を思い、その後どんな人生を歩んだのか。
マラソンで死闘を演じた3人の男たちは、それぞれ数奇な運命をたどった。
アベベ・ビキラ(エチオピア)は、60年ローマ五輪で代名詞にもなった裸足ではなく、プーマのランニングシューズを履き、五輪連覇を達成した。
円谷幸吉はゴール直前で英国選手に抜かれたが、堂々の銅メダルを獲得した。円谷と同学年の君原健二は半年前に同じコースで開かれた前哨戦で優勝。アベベがレース6週間前に盲腸の手術をしていたこともあり、金メダル候補とも言われた。だが、8位に沈んだ。
「調整はしっかりできたのですが、期待の大きさに耐えられず、当日は完全にアガってしまいました。ゴール後に選手控室に行くと、茫然とした様子でベッドに横たわる円谷さんがいました」(君原)
日本にとって陸上唯一のメダル。円谷は喜びに浸ることもなく、すぐに「4年後のメキシコ五輪を目指す」と宣言した。
一方の君原は、五輪の重圧で心身ともに疲弊していた。所属先に退部届を出し、マラソンから遠ざかる。だが、のちに結婚することになる女性との交際を機に意欲を取り戻し、66年2月にマラソンに復帰。メキシコ五輪を想定した高地トレーニングも始めた。
しかし68年1月、盟友の訃報が届く。円谷が自ら命を絶ったのだ。遺書には「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」とあった。27歳の若さだった。