高度成長期の1960年代末、日本の歌謡シーンに燦然と登場したのは「怨歌」の藤圭子(62)だった。ほの暗い世界を歌って支持を得た「昭和の歌姫」は、90年代後半、「平成のディーバ」宇多田ヒカル(30)の母として再び脚光を集めた。その彼女が突然、なぜ自ら死を選んだのか。
 

 ヒカルは98年に、15歳でデビューすると、いきなり800万枚を売り上げ、鮮烈なデビューを飾る。作詞作曲も手がけ、立て続けにミリオンセラーを飛ばした。やがて世界に目を向け、2000年にコロンビア大学に入学。04年には全米デビューを果たした。

 一方で、ヒカルが稼ぎ出す莫大な収入を前に、藤の感覚はおかしくなっていく。06年3月、ニューヨークのJFK国際空港で米司法省麻薬取締局が藤を摘発した。藤が持ち込もうとした米ドルなど現金計約4900万円相当を差し押さえ。麻薬犬が微量の規制薬物も見つけたと報じられた。藤は「違法なカネではなく、麻薬への関与は一切ない」と主張。後に主張は認められ、没収された現金は返却されたが、異常な金銭感覚が世に知られることになった。
 

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