福島の原発事故の反省を踏まえて、秋までに原子力規制委員会が発足するという。ニュースキャスターの辛坊治郎氏は、その委員会の問題点を指摘し、日本が原発を持つ資格があるのかという疑問を投げかけている。

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 久々に面白い読み物に出会った。それは先ごろ公表された福島原発の国会事故調最終報告書だ。今までどうしてもわからなかった安全弁解放遅れの理由などについて、報告書は実に多くの情報をもたらしてくれた。全文はウェブで公開されている。

 重大事故に際して誰が対策の司令塔であるべきか?

 これについては、報告書が指摘するように「第一義的に電力会社の責任とし、政治家による場当たり的な指示・介入を防ぐ」べきだと思う。しかし今回東電は、見事にその役割を放棄した。大学で原子力を研究した者が、成績のいい方から順番に電力会社に就職する話はよく聞く。その中で頂点に立つのは東京電力だから、原子力に関する日本の頭脳の大半は事故当時、この会社の中にあった。

 だが、原子炉に水を入れて冷やさなければどうなるか一番に知っていた人物が、「官邸の素人」に配慮してそれを止めさせる。本来司令塔となるべき専門家が何の役割も果たさなかったどころか、事態収拾より「政府との良好な関係」を優先させて、避けられたはずの最悪の事態を次々に招いていたのだ。

 事故の反省を踏まえて、秋までには5人の委員が広範な権限を持つ原子力規制委員会が発足する。仮に委員会発足後、原子炉の安全弁を開放しなければ、原子炉が爆発して、周辺に住む住民の生命に危険が迫る事態を迎えたとする。その時、民間人が委員を務めるこの組織は誰かに「死ぬかもしれない作業」を命じることができるか? 恐らく、否だろう。日本でそれができるのは、自衛隊の総指揮者である総理大臣だけだ。

 さらに本質的な問題は、日本の総理大臣に、「危機を救うために死んでくれ」と国民に命じる覚悟があるかという点だ。

 原発は、ひとたび大事故を起こせば、その収拾のため誰かに「死ぬかもしれない作業」を強いなくてはならない可能性がある。

 もう一度問う。覚悟はあるか。

 この点で、そもそも今の日本に、原発を持つ資格はないのではないか。

※週刊朝日 2012年7月27日号