作曲家・平尾昌晃氏 「結核療養が作曲家としての転機」と振り返る 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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作曲家・平尾昌晃氏 「結核療養が作曲家としての転機」と振り返る

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 1950年代後半、ロカビリー歌手として人気絶頂を迎えた平尾昌晃さん。その後、66年に作曲家として再スタートを果たし、1967年、布施明の「霧の摩周湖」と梓みちよの「渚のセニョリーナ」で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。しかし、結核を患っていた平尾さんは、受賞の翌年入院することに。それがその後の音楽人生に大きな影響を与えたという。

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 病院に腰を落ち着けて暮らすうちに、人のあったかさをすごく感じるようになった。見ず知らずの人が、山菜を採ってきてくれたり、担当ではない看護師さんまで、「これ、おいしいのよ」って、野沢菜を漬けてきてくれたりするんですよ。それで、「僕はひとりじゃない。ロカビリーをやって突っ走ってきたけど、いろんな人に支えられてきたんだ」って気がついた。元気になったら、今の僕みたいにハンディのある方とか孤独な方に、同じあったかさを届けようって、心に決めました。
 僕、作曲賞をいただいてから、ずっと、作曲家の「家」が重たくて重たくて。ちゃんとした曲を書かなきゃっていうかな。でも、作曲って、そうじゃない。その人の魅力を育てるもの。その歌手の、どの声が一番きれいか、どこに立たせてどんな格好をさせたら似合うかと考える。たとえば今年2月にリリースした氷川きよし君の「櫻」もそうです。彼も34歳になったから、そろそろこういうラブソングもいいんじゃないかって思ったの。「桜の花びらを愛しい人だと思って歌ってね」って言ったら、今までの声が、一気に優しくなった。
 僕は、絵も字も下手だから、せめてメロディーで絵を描くんだって思っています。その人の姿やシーンが見えるようなね。だから、僕の年でも曲が書けるんじゃないかな。
※週刊朝日 2012年4月27日号


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