気温は未だ極寒が続いています。けれども明確に日脚は伸びてきていますし、地上を見れば早春の花もほころび始めています。

そして星空もまた、宵の口は冬の星座、夜更けてからは春から初夏の星座へと、季節の変わり目らしく二つの相貌を見せてくれます。春の星空に優美な虹型のアークを見せてくれるのが、北斗七星の柄と、うしかい座α星、おとめ座α星とで描かれる「春の大曲線」です。しかしこの両α星、出所不明な「伝承」を持つ星でもあるのです。

春来るほほえみ?北斗七星-アルクトゥルス-スピカで繋ぐ春の大曲線
春来るほほえみ?北斗七星-アルクトゥルス-スピカで繋ぐ春の大曲線

冬から春へ…星模様の変化交代劇が見られる早春の星空を時間ごとに眺めてみよう

宵の口には南にオリオンの三ツ星とシリウスが輝き、天頂高くにふたご座があって、北東の空にはおおぐま座の腰から尻尾にあたる北斗七星がひしゃくの柄を真下にして突っ立ち、いかにもまだまだ冬の夜空が広がります。しかし一方で、夜も更けてくると夜半前には冬の主役たちは西の空に退き、東の空には、神秘的な淡い光をぼんやりと放つプレセぺ星団を擁するかに座をせきたてるように威勢よくしし座が駆け上り、その後ろには青白い光のスピカを主星にしたおとめ座、そしててんびん座が見えてきます。

その時間には横転している北斗七星の柄の反りの延長上に、うしかい座α星の巨星アルクトゥルス(Arcturus)が暖かい季節を呼ぶかのごとく輝いて、アルクトゥルスを真ん中にして北斗七星の柄の先端にあたるアルカイド (Alkaid)とちょうど真反対の等距離には、おとめ座α星スピカ(Spica)が位置し、優美な弓型曲線を描く「春の大曲線」が明瞭にあらわれてきます。

アルクトゥルスは、恒星ではシリウス、カノープスに次ぐ明るい一等級恒星で、春の全天の王様とも言えます。地球から37光年と比較的近い宇宙にあり、秒速125kmの爆速でおとめ座α星スピカの方へと近づいており、およそ5万年後にはすぐ隣にまで最接近すると考えられています。

アルクトゥルスは、エドモンド・ハレー(Edmond Halley 1656~1742年)によってはじめて恒星移動が観測され、つまり天球上の星座のかたちは恒久不変なものではなく変化していることを証明した星でもあります。

アルクトゥルスの質量は太陽よりもわずかに大きい程度にも関わらず、半径は25倍、輝度は100倍以上というとてつもない巨星(赤色巨星)です。星の生涯としては晩年に当たり、核融合による熱膨張が星自体の重力による収縮を上回り、膨らんでいく過程にある老いた星です。

対してスピカは、地球からの距離は250光年、実視等級は0.98。

全天球で14番目に明るい、青白くすがすがしい輝きの一等星ですが、主星の近く(0.12au 地球と太陽の距離の約10分の1)に伴星があり、その重なり合いや潮汐による形状の歪みで光度が頻繁に変化する変光星としても知られています。

アルクトゥルスとスピカ、そしてしし座のα星レグルスの一等星の三つがなすコーン型の二等辺三角形、もしくはレグルスではなく、しし座の尻尾に当たるβ星デネボラとでなす正三角形は、「春の大三角」とも呼ばれています。

錯綜するうしかい座神話。両脚を踏ん張る姿から大地を支えるアトラスとも
錯綜するうしかい座神話。両脚を踏ん張る姿から大地を支えるアトラスとも

由来に謎多き、うしかい座とおとめ座。この組み合わせってどこかで…

うしかい座(牛飼い座 Boötes) は、2世紀ごろに古来さまざまに伝わる星座伝承を整理統合したトレミーの48星座= プトレマイオス星座(Ptolemaic constellations)の一つで、日本では西洋星座の輸入当初「牧夫座」と呼ばれていましたが、やがて「うしかい座」に変更されて定着しました。

「牛飼い」と言いながら猟犬(隣り合うりょうけん座)をつないでいるなど、その図像イメージや由来となる神話には不明確なところが多く、タイタン族の一人でゼウスに大地を永久に担いで支え続けるという罰を負った巨人・アトラス(Atlās) であるとか、ホメロスの叙事詩「イーリアス」「オデュッセイア」の英雄であるオデッセウスの妻ペネロペーの父・イーカリオス(Īkarios)であるとか、大に変えられたニンフ・カリストーと天帝ゼウスの間に生まれた息子アルカス (Arkas) であるなど、さまざまに言われています。

アルカスと言えば、クマに変えられた母カリストーを、それと知らずに射殺そうとしたために、ゼウスがそれを避けさせるために母子を母熊・小熊の姿に変えて星にしたという神話があります。おおぐま座の北斗七星の柄に右から寄り添うように、α星アルクトゥルスを起点にして、細身の盾かネクタイのような形状で差し伸びているうしかい座の形は、おおぐま座を慕う子供のように見えなくもありません。

おとめ座(Virgo)もまた、正体(由来)がわかりにくい星座です。おとめ座と十二獣帯で隣り合うてんびん座との関係で、正義の女神アストライア(Astraiā)ともされます。アストライアは、司法の正義を象徴する女神ユースティティアとも同一視される神ですが、アストライアの神話は都市文化が発達したローマ時代ごろが発祥ですし、おとめ座の名であるvirgo(処女・乙女)との関連もあまりありません。

やはり、大地の女神デーメーテル、あるいはその分霊である娘ペルセポネーであるとするのがより正当でしょう。手に持つ麦の穂が、α星スピカに当たります。

処女地・処女峰・処女林など、処女と土地・大地は古くから強く結びつけられてイメージされてきましたし、virgoの語源をたどれば、植物の芽生えや繁栄の意味があり、春が来て植物が芽吹き、新しい命が満ち満ちるころに輝くスピカは、その季節にふさわしい星座と言えるでしょう。

補助線でつないだおとめ座。
補助線でつないだおとめ座。

「春の夫婦星」俗説の広まった理由とは…

地上からは暖かみのあるオレンジ色をしたアルクトゥルスは、特に初夏頃の麦の刈り入れ時期には夜通し見ることのできる星のため、日本では「麦星」「麦刈り星」「麦熟れ星」など、初夏の収穫と関わり深い名で呼ばれてきました。

このアルクトゥルスとスピカを、日本では古くから「春の夫婦(めおと)星」と呼んできた、との逸話がネットでは多く紹介されています。星座の世界の権威である藤井旭氏も自身の著作でその件について叙述しています。

また、東洋の星神話での夫婦星と言えば、言わずと知れた七夕神話の牽牛(わし座α星アルタイル)と織姫(こと座α星ベガ)伝説ですが、うしかい座と牽牛、おとめ座と織姫のイメージが重なりますので、思わず素直に信じてしまいそうになります。

しかし実際この両星を「春の夫婦星」とする習俗信仰は存在しない(言い伝えは伝わっていない)のです。

実際には「春の夫婦星」とは、「二つ星」「金星・銀星」などとも呼ばれてきて、旧暦ひな祭りのころ(4月ごろ)に日没後の夕闇の空に並んで輝くふたご座のα星カストルとβ星ポルックスのことなのです。この二星をお内裏様とお雛様に見立てて「夫婦星」と呼んでいたのですが、ふたご座は冬の星座のイメージが強いせいか、春の星であり、牽牛・織姫にも被るアルクトゥルスとスピカのことだと勘違いされ、転移されてしまったようです。

アルクトゥルスとスピカがペアのイメージが強くなったのにはもう一つ理由があります。それは、日本ではスピカをその青白い色から「真珠星」、対して赤みがかったアルクトゥルスを「珊瑚星」と呼んだという説明です。これに「春の夫婦星」の俗説が合わさってしまい、いかにも本当らしくなってしまったわけです。

しかし「真珠星」「珊瑚星」という呼び名は、第二次世界大戦中に発生した呼び名であるということが既にわかっています。日米戦争後期、敵性外国語である英語を使えないことから、航海や航空の指標となる星の和名を決めてほしいと軍から要請を受けて、天文民俗学者で冥王星という和名の名付け親である野尻抱影氏と、民俗学者の宮本常一氏が福井県で採取した聞き取り調査から「真珠星」という名を考案。これを受けて、戦前の日本の天文学発展に寄与した天文学者・山本一清氏が、ならばアルクトゥルスを「珊瑚星」としてはどうか、と提案をしたという逸話がもとになっています。

これは、日米戦争初期から前期における日本海軍の戦果として知られる「真珠湾攻撃」「珊瑚海海戦」を下敷きにした近年になってのものなのです。

ただ、全国の星の和名の記録に取り組んでいる北尾浩一氏が採取した珍しいケースでは、富山の一地方の伝承として、アルクトゥルスを「兄様星(あんさまぼし)」、スピカを「姉様星(あねさまぼし)」と呼んでいたという珍しい伝承もあったようですから、ペアと見るのは必ずしも間違いとも言えなさそうです。

北斗七星からアルクトゥルスを経てスピカに至るたおやかな曲線は、それだけ人々にさまざまなイマジネーションを与えてきたということですね。

アルクトゥルスとスピカを夫婦星と呼んだという記録・伝承はありません
アルクトゥルスとスピカを夫婦星と呼んだという記録・伝承はありません

参考・参照

星空図鑑 藤井旭(ポプラ社)

日本の星名事典 北尾浩一(原書房)

夜空の春の兆しに、地上でもそろそろ春の芽吹きが
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