実は「奇跡の人」とは、サリバン先生のことだった! 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

実は「奇跡の人」とは、サリバン先生のことだった!

このエントリーをはてなブックマークに追加
tenki.jp
ヘレン・ケラー像

ヘレン・ケラー像

極貧、孤独の上に目の病……

極貧、孤独の上に目の病……

聖書に心の目を開かれ……

聖書に心の目を開かれ……

「見えない」「聞こえない」「話せない」の三重苦を克服し、「奇跡の人」として知られるヘレン・ケラー。家庭教師としてヘレンを教育したアン・サリバンは「サリバン先生」として、あまりにも有名ですね。
実は、アンも目の障がいをもち、劣悪な幼少期のなかで死を選ぼうとまでしました。また、ブロードウェイで初演された戯曲の原題は「The Miracle Worker」(邦題「奇跡の人」)、これはヘレンではなく、アンの偉業をたたえるものでした。
明日4月14日は、アン・サリバンの誕生日。その「The Miracle Worker」としての足跡をたどってみましょう。

弟とともに救貧院に預けられる

アン・サリバンは1866年、アメリカ、マセチューセッツ州の極貧家庭に生まれました。8歳で母親が病死、10歳でアルコール依存症の父親に育児放棄され、弟とともに救貧院に預けられました。
当時の救貧院は福祉施設とは名ばかり。貧困者、孤児、娼婦、性病者、精神障がい者をまとめて社会から隔離するための牢獄のようなものだったそうです。不衛生で劣悪な環境から、最愛の弟は数か月で亡くなり、アンは天涯孤独の身に……。
そのうえ、幼い頃に患ったトラコーマという目の病気が悪化し、視力を奪われていく中でうつ状態に。誰にも心を開こうとせず、ついには施設地下の独房に入れられてしまいます。

盲学校を首席で卒業

幼い少女期に極貧、孤独、目の病……なんとも壮絶ですね。弟のなきがらを前に、「世界中でただひとつ愛したものを喪った」と泣きじゃくり、自ら命を絶つことを考えたと、アンは後年語っています。
地下の独房に入れられたアンに、救いの手を伸ばしたのは看護師でした。彼女は昼休みになるとおやつを持って、アンに聖書の御言葉を話すようになりました。
アンはまったく反応せず、話を聞いているのかいないのかもわからないような状態でしたが、彼女は決してアンのことをあきらめませんでした。
そしてある時、いつものように彼女が地下に下りていくと、前日に置いておいたおやつにアンが手をつけていたのでした。
アンは彼女の読む聖書の御言葉に反応するようになり、やがて施設から出られるようになりました。トラコーマについては何度も手術を繰り返したものの、弱視の状態に戻すのがせいいっぱい。視力が完全に回復することはありませんでした。
14歳で救貧院を出てパーキンス盲学校に進学。首席で卒業しましたが、極貧生活の辛い体験は一生涯、アンの心を支配し続けました。

アン20歳、ヘレン6歳の出会い

20歳の時にヘレン・ケラーの家庭教師の話が舞い込みます。引き受ける動機のひとつとして、月25ドルの月謝と住居と食事の提供がありました。卒業後にまた極貧生活に戻るのではないかと不安だったアンにとっては、願ってもない就職先でした。
三重苦の少女ヘレン・ケラーのもとに、家庭教師のアン・サリバンが初めて訪れたのは1887年3月3日。ヘレンは後にこの日を「私の魂の誕生日」と呼んでいます。
アンはこの時まだ20歳。パーキンス盲学校を首席で卒業した優秀な学生でしたが、教師経験はありません。一方、ヘレンは6歳。1歳7か月の時に視覚と聴覚を失い、周囲の人に意思を伝えるのには身振りや仕草に頼るしかない子どもでした。
ヘレンが、手のひらを流れる物質としての“水”と、言葉としての“ウォーター”との関係を把握し、この世の中のすべてのものに名前があることに気がつく、いわゆる「井戸端の奇跡」はこの出会いからわずか1か月後のことでした。
「言葉というものがあるのを、はじめて悟った日の晩。ベットの中で、私は嬉しくて嬉しくて、この時はじめて、“早く明日になればいい”と思いました」

もう一人の「奇跡の人」、ローラ・ブリッジマン

アンはパーキンス盲学校で、ヘレンと同じように目、耳、声の三重苦を負う、ローラ・ブリッジマンという女性と出会っていました。
ローラは2歳の時に視覚と聴覚を失い、ヘレンと同じように教育を受けずに成長しました。7歳でパーキンス盲学校に入学し、盲学校創設者のサミュエル・ハウという医師から最初は点字、後にはアルファベットを表す指文字を習い、言葉を身につけることができていました。
アンがパーキンス盲学校で勉強していた同じ時期、50代後半のローラは盲学校で暮らし、盲学校の生徒に裁縫などを教えていました。アンはローラと交流をもち、指文字で会話していたそうです。
盲学校でのローラとの出会い、また自らの目の障がいが、アンがヘレンを教育するのにどれほどの力になったかは、はかり知れませんね。
ヘレンの自伝にアンは心優しい、理想の教師として描かれたため、その壮絶な人生については1933年、アンの伝記が出版されるまで人々に知られることはありませんでした。
最後に、1959年にブロードウェイで初演された戯曲「The Miracle Worker」とは、作家のマーク・トウェインがアンに出したハガキの最後に、驚異の成果を成し遂げた「Miracle Worker」と、アンへの賛辞を記したことにちなんだものだそうです。
参照/NHKハートネット 偉大な家庭教師アン・サリバンが求めたもの


トップにもどる tenki.jpサプリ記事一覧


続きを読む


おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事
あわせて読みたい あわせて読みたい