旧樺太生まれの祖母の思い出と残留邦人の暮らしを追う写真家・辻田美穂子 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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旧樺太生まれの祖母の思い出と残留邦人の暮らしを追う写真家・辻田美穂子

撮影:辻田美穂子

撮影:辻田美穂子

 写真家・辻田美穂子さんの作品展「カーチャへの旅」が7月10日から入江泰吉記念奈良市写真美術館で開催される。辻田さんに聞いた。

【辻田美穂子さんの作品はこちら】

*  *  *
 辻田さんは10年ほど前から旧樺太(サハリン)を訪れ、在留邦人らの暮らしぶりを丹念に写してきた。

 インタビュー中、辻田さんはこう繰り返した。

「とにかく、ぜんぜん終わらないんですよ、自分の中で」

 サハリンに通うため、北海道で暮らすようになった辻田さんにとって、この作品づくりはもう単なる撮影ではなく、人生の一部となっていることを感じた。

■恵須取生まれの「カーチャ」

 展示作品は2010年、辻田さんの祖母、恵子さんが墓参団の一員として62年ぶりに宗谷海峡を渡り、サハリンを訪ねるところから始まる。

 ロシア人たちから「カーチャ」の愛称で呼ばれていた恵子さんは1931年、樺太中西部の海辺の街、恵須取(えすとる)(ウグレゴルスク)で生まれた。

 当時の恵須取は王子製紙の企業城下町として活気にあふれ、工場にそびえ立つ巨大な4本の煙突はこの町のシンボルだった。
撮影:辻田美穂子

撮影:辻田美穂子

 辻田さんら墓参団を乗せたバスが北上していくと、「この煙突がすごく遠くから見えたんです。その瞬間、おじいさんやおばあさんたちから歓声が上がった」。

 しかし、20年ほど前に工場が閉鎖されて以来、この街には目立った産業はなく、荒涼としている。市街地が一望できる丘の上から写した写真には廃虚となった建物が点々と見える。

「それでも、おばあちゃんは『うわっー』って、すごく感動していたんです。ただの草っ原なんですけれど、おばあちゃんには昔の街が見えている。でも、私には見えない。それが行き続けることによって、見えてくるんじゃないかな、と。その思いがいちばんあって、ずっとしつこく通ってきた」

■祖母のロシア語にハッとした

 恵子さんは終戦後、1948年にサハリンから引き上げ、大阪府藤井寺市に移り住んだ。

 孫の美穂子さんは幼いころから隣に住む祖母と過ごすことが多かったという。

「いっしょに料理をしながら、『ジャガイモはロシア語でカルトーシュカ。キャベツはカプースタ』とか、教えてくれたんです」

 子どものころは祖母が「何か言っているな」、くらいにしか思わなかった。

 ところがある日、「おばあちゃんはロシア語をしゃべれるんだ、ということに、ハッとした。いったい、どんな人生を歩んできたんだろう、と思った。それが高校生のとき」。

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