大石芳野が撮り続ける“心の傷”──終わらない苦しみを記録する (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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大石芳野が撮り続ける“心の傷”──終わらない苦しみを記録する

SPECIAL FEATURE PHOTOGRAPHY

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大石芳野dot.#アサヒカメラ
ベトナム レー・ティー・ハイ(80歳)は解放軍兵士の夫と3人の息子、2人の孫を戦闘で失った。(ベンチェ省、1982年)

ベトナム レー・ティー・ハイ(80歳)は解放軍兵士の夫と3人の息子、2人の孫を戦闘で失った。(ベンチェ省、1982年)

終わらない戦禍を記録する

 20世紀の科学技術は、戦争の影響力の拡大に格段の進歩をもたらした。それまでの戦争に比べて、より効率的に破壊し、大量に殺戮することが可能になったのである。敵地への打撃を最大限にするため、被害は当事者同士の戦闘に限定されることなく、非戦闘民へも広範に及ぶこととなった。ナチスのガス室、広島・長崎の原爆、ベトナムでの枯れ葉剤、ラオスのクラスター爆弾など、こうした例は枚挙に暇がない。沖縄戦のように市民が戦闘にかり出された例もある。
カンボジア ポルポト政権の抑圧から解放されたものの、成人は年齢よりも老け、子どもは成長がおそくて身体が小さい。(バッタンバン州、1980年)

カンボジア ポルポト政権の抑圧から解放されたものの、成人は年齢よりも老け、子どもは成長がおそくて身体が小さい。(バッタンバン州、1980年)

 それ以前の世紀から「伝統的に」続けられてきた、政治体制や宗教・民族の葛藤をめぐる諍いもいまだ収束をみない。カンボジアでポル・ポトの支配は終焉したが、その虐殺のトラウマに今も苦しむ人々がいる。1991年ソビエト連邦の崩壊と冷戦の終結を受けて、フランシス・フクヤマは闘争の終焉、すなわち「歴史の終わり」を宣言したが、彼が論じた究極の民主主義体制が地球を覆うのは、まだ遠い先となりそうだ。今日の私たちにとっては、国家間の戦争よりも、アフガニスタン内戦、コソボでの民族紛争、南北スーダンの抗争といったように、宗教や民族の対立に起因する内戦やテロリズムが親しいものになっている。
スーダン ダラサラーム(15歳)はダルフールから逃げてきた。「1週間後に結婚しなければならないの」と暗い表情でぽつりと言った。(チャド、2006年)

スーダン ダラサラーム(15歳)はダルフールから逃げてきた。「1週間後に結婚しなければならないの」と暗い表情でぽつりと言った。(チャド、2006年)

 かように今世紀に至っても人類は戦争を克服し得ていない。仮に個々の戦争が終結したとしても、戦災の影響は長く残存する。その被害を被った人々の多くは、現在は一見平穏に暮らしていたとしても、今なおその身体や精神、身近な人々あるいはその子孫に及ぶまで、大きな損失と傷を抱えて苦しんでいるのである。他の誰でもなく、なぜ自分がそのような負債を負わなければならなかったのか。直接の戦闘の当事者でなかったにもかかわらず。
コソボ 中央の少女ベサルタ(12歳)の一家20人はセルビア軍に自宅を攻撃され、彼女だけが生き残った。学友に囲まれて「勉強に精を出さなければ」(コソボ、2000年)

コソボ 中央の少女ベサルタ(12歳)の一家20人はセルビア軍に自宅を攻撃され、彼女だけが生き残った。学友に囲まれて「勉強に精を出さなければ」(コソボ、2000年)

 大石芳野は、はじめ民族学的な興味から南洋の原住民の生活に接して撮影を始めたが、やがて同じ場所に、より喫緊の、切実な問題があることに促されて、戦地における非戦闘民が被った被害に寄り添い、戦後も長く続く影響を掘り起こしながら記録を続けてきた。大石はいわゆる戦争写真家として、戦闘や殺戮の光景を撮ることはしない。戦況がいくらか落ち着いた後に現地に入り、そこで暮らす人々がその後どのように傷を抱え苦しみながらも生きていくかに注目し、長い時間をかけて、何度も接しながら取材している。それらの作品を通して、心身にもたらされた戦争の刻印を消すことの難しさを、私たちは知ることになる。

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