2000年オランダ訪問。戦没者記念碑に向かうベアトリックス女王。右端はウィム・コック首相。左端はスヘルト・パテイン・アムステルダム市長
2000年オランダ訪問。戦没者記念碑に向かうベアトリックス女王。右端はウィム・コック首相。左端はスヘルト・パテイン・アムステルダム市長
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 参院選の応援演説で凶弾に倒れた安倍晋三元首相。事件を受けて警察の警備・警護に注目が集まっているが、国民との触れ合いを大切にする皇室の警備・警護も悩ましい問題だ。一方で、日本の皇室が海外を訪れるときに、各国はどのような警備の対応を取っているのか。

【写真】イギリスやアメリカなどを訪れたときの様子は?

※記事の前編<<安倍元首相の襲撃事件で宮内庁長官も皇室警備の苦悩明かす「日本人は人との触れ合いを大切にする」>>から続く

*  *  *

 1994年、平成の両陛下が米国を訪れたときのことだ。

 米国側は、両陛下を乗せるための防弾ガラスが装備された車を用意していた。

当時の侍従がこう振り返る。

「両陛下は、車の窓を下げて、米国で歓迎の出迎えをしてくれる人に手を振りたいと希望され、米国の警備当局と議論がなされました」

 だが、米国では経済摩擦と過去の戦争による反日感情のしこりが残る時期だった。両陛下の宿舎「ブレアハウス(大統領の迎賓館)」の前には、天皇の戦争責任について抗議をするアジア系米国人のデモが押し寄せるような時期でもあった。

 米国の警備担当者は、

「こちらが防弾車を用意して両陛下の安全を確保しようとしているのになぜ、わざわざ窓を下げるなど危険なまねをするのか理解できない」

 そんな反応を示したという。

 このとき同行した別の記者は、こう振り返る。

「確かに銃社会である米国の警備・警護に対する意識は日本のそれとはまるで違う。当初は、日本から同行した記者たちが両陛下の近くについて回り取材をすることすら信じられないといった反応でした。記者を遠ざけろ、取材させろといった攻防を繰り広げた記憶があります。しかし、最終的には、『人々との触れ合いを大切にする』日本の皇室の姿勢を理解してくれたように記憶しています」

米国「手榴弾は沿道に投げ返せ」

 興味深いのは、国によって警備・警護に対する感覚がまるで違ったことだ。

 昭和天皇と香淳皇后が75年に米国を訪問した際のこんな話がある。

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