コロナ禍だからこそ、新パスポートに入れてほしかった北斎の“あの作品” (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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コロナ禍だからこそ、新パスポートに入れてほしかった北斎の“あの作品”

連載「あなたの知らない神社仏閣の世界」

鈴子dot.
「開運北辰妙見大菩薩」を祭る法性寺の妙見堂

「開運北辰妙見大菩薩」を祭る法性寺の妙見堂

新しいパスポートの表紙と「神奈川沖浪裏」(写真提供/=HAPPY ALOHA)

新しいパスポートの表紙と「神奈川沖浪裏」(写真提供/=HAPPY ALOHA)

●北斎を救った妙見菩薩

 われわれは普通に葛飾北斎と呼んでいるが、なかなか変わった人物で、生涯で数十回名前を変えたとされ、「冨嶽三十六景」にも「北斎改為一筆」との署名がある。また、住まいを頻繁に変えたことも知られており、生涯で90回以上は引っ越しをしたらしい。それでも生まれた場所が本所であったことから、当時の地名、武蔵国葛飾郡の「葛飾」を名乗った。

 また、「北斎」とは彼が信仰していた妙見信仰に由来している。これは北辰(北極星)の化身とされる妙見菩薩に対する信心である。北斎が当時師事していた浮世絵師・勝川春章から破門され、絵も売れず困窮していた折、柳島にあった妙見菩薩(法性寺)に21日間の参拝をしたところ、五月幟や疱瘡除けのお守りなどの絵が売れ始め、生涯絵描きとして暮らすことを妙見菩薩に誓ったという。

●江戸で人気の柳島の妙見さま

 法性寺は、室町時代に開かれた日蓮宗の寺院で、妙見堂に祭られる「開運北辰妙見大菩薩」として、開運だけでなく、北斎の逸話もあってか諸芸などの上達祈願にも訪れる人が多いと聞く。

 柳島の妙見菩薩を題材に北斎自身も多くの作品で取り上げているが、江戸名所図会や広重の錦絵にも描かれていて、江戸時代いかに人気のお寺であったかをうかがい知ることができる。加えて、北斎の信心話はますます人気を高めたことだろう。

 北斎は90歳で亡くなる直前まで筆をとっていたという。まったく衣食住に頓着せず、金銭に対する執着もなく常に貧乏な生涯を過ごしたらしい。決して安い手間賃で仕事を引き受けていたわけでも、仕事の依頼が少なかったわけでもない。絵を描くこと以外に興味を示さなかった人生だったということなのだろう。それが、妙見菩薩に誓った姿だったのか。筆を折ろうかと思い詰めるほどの気持ちで妙見さまに祈った直後に受けた仕事で大金を得たのは、疱瘡除けの「鍾馗(しょうき)」の絵だったとか。

 それならばパスポートの絵のひとつに、北斎の描いた鍾馗図をひとつ入れておけば、「コロナ除けにもなったかなあ」と、今更のようにちょっと残念に思ったりもするのである。


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鈴子

昭和生まれのライター&編集者。神社仏閣とパワースポットに関するブログ「東京のパワースポットを歩く」(https://tokyopowerspot.com/blog/)が好評。著書に「怨霊退散! TOKYO最強パワースポットを歩く!東東京編/西東京編」(ファミマ・ドット・コム)、「開運ご利益東京・下町散歩 」(Gakken Mook)、「山手線と総武線で「金運」さんぽ!! 」「大江戸線で『縁結び』さんぽ!!」(いずれも新翠舎電子書籍)など。得意ジャンルはほかに欧米を中心とした海外テレビドラマ。ハワイ好き

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