粟国島の港。ターミナルも小さい(撮影・下川裕治)
粟国島の港。ターミナルも小さい(撮影・下川裕治)
旅行作家の下川裕治さん
旅行作家の下川裕治さん

「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。第34回は、コロナ禍で気づいた、いま沖縄で最も沖縄らしい場所について。

【写真】沖縄離島路線バスの旅。車窓から見えるのは…

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 今年の2月から断続的に沖縄の取材が続いた。沖縄の離島の路線バスをすべて乗り尽くすという旅だった。本来なら5月ぐらいには終わるはずだったが、10月に入ってようやくすべての路線を乗り終えた。

 これだけ遅れた理由……。新型コロナウイルスである。本土、そして沖縄にも感染が広がり、沖縄に向かうことができなくなってしまった。感染が収まって沖縄に向かい、いったん帰京。そして再びと思っていると、感染が広まり、東京で待機……。その繰り返しだった。

 それでもなんとか、宮古島とその周辺、そして八重山諸島の離島のバスを乗り終えたときは7月になっていた。次の離島は台風のシーズンの前には……という思いはあったのだが、再び沖縄で感染が広がった。沖縄県は県独自の非常事態宣言を出した。それが解除になったのは9月5日だった。

 これで沖縄の離島に行くことができる……そうはいかない沖縄の離島事情があった。国や県とは別に、離島の町や村単位の渡航制限があった。それらが解除されなくてはならない。離島の医療施設は脆弱だ。本土のように、救急車をつかって重篤患者を設備の整った病院に搬送することができないのだ。

 解除の情報は離島を管轄する村などのホームページを見ることになるが、そのつくりや表現がまちまちでわかりずらい。結局、何回となく役場に電話をかけることになる。そのうちに名前まで覚えられてしまった。

 最後は締め切りの関係もあり、離島の自粛解除との追いかけっこのようになっていった。離島への渡航自粛は、沖縄県の非常事態宣言の解除後も続いたからだ。港のフェリー乗り場の発券カウンターには、「渡航・来島中止(要請)」という貼り紙が掲げられている。これが外されないと島には渡れない。

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下川裕治

下川裕治

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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沖縄の離島のほとんどに渡って気づいたのは