これに伴い、隅田川船運の中心地である両国橋に接続できるようになったため、曳舟~吾妻橋は1904年4月5日に廃止された。1908年3月1日に再開業し、当初は貨物線扱いだったが、1910年3月1日に旅客営業を再開すると、吾妻橋の駅名を浅草に改称。同駅はその後、1931年5月25日に業平橋(なりひらばし)、2012年3月17日にとうきょうスカイツリーと3度改称された。

 一方、亀戸~越中島(6.5キロ)の延伸は、指定竣工期限が切れたため、1910年8月に免許状が失効。その夢はついえた。

 曳舟~亀戸で落ち着いた亀戸線は、1928年4月15日に複線化と直流電化が同時に実施された(現在は曳舟駅構内のみ単線)。併せて虎橋通(とらばしどおり)、十間橋通(じゅっけんばしどおり)、平井街道(現・東あずま)、北十間、亀戸水神(かめいどすいじん)の各駅が一挙に開業し、利便性が大幅に向上した。しかし、東京大空襲による被災などの影響で、戦後は虎橋通、十間橋通、天神、北十間の各駅が廃止され、現在に至る。

■亀戸線を彩る8000系リバイバルカラー

 東武は亀戸線の活性化に動き、各駅の駅舎の佇まい、沿線の下町情緒たっぷりの町並みに注目し、2016年3月23日から「昭和30年代の通勤形電車標準色」、2017年2月16日と7月13日から「昭和30年代の試験塗装車両」2種類のリバイバルカラーの運行を開始。廃車が進む8000系がもうひと花を咲かせた。

 亀戸線の列車は朝方3編成、日中以降2編成で運用されるが、全列車がリバイバルカラーで運行される確率は低そうだ。また、朝方用の1編成は運行を終えると亀戸に留置され、12時11分頃に回送電車として西新井へ向かい、大師線の運用に就く。

■乗り換えればすべてが激変

 亀戸線の起点となる曳舟は一部の列車を除き、5番線から発車する。ホームから間近にそびえたつ、雄大な東京スカイツリーが太陽の如く輝きを放つ。

 発車した列車は地平へ下りると、小村井(おむらい)へ。駅舎付近の踏切は明治通りと平面交差する。渋谷側の明治通りとは異なり、交通量は少ない。大通りと鉄道が踏切で交差する光景は、東京23区内では珍しくなった。

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東あずまには昭和な風情の駅舎が