―山田さんのご自身の芸能活動の方はいかがでしょうか? YouTubeをきっかけにして、またテレビで活躍したいという思いはありますか?

 できたらいいなというのは本音ですが、オファーが来てもクイズ番組で競ったり、激辛メニューを食べたりとかなので、内容についていけないでしょう。過去に体調を壊しているので胃腸が弱いですし、クイズでも現役東大生やインテリ芸能人と張り合うなんて無理です(笑)。私みたいな中途半端なバカが出ても痛いと思われるだけですしね。今風な企画をしているところからはこんな古くさいタレントは呼ばれないと思います。

―ご自身で「古くさい」と話されましたが、20年前と現在でテレビ業界はどのように変わったんでしょうか?

 キャスティングも現場の様子も変わってきています。当時のテレビ番組の出演者並びは、ベテランがたくさんいて、そのなかで20代の私が最年少というのが多かったのですが、今は若手が主流です。制作側も若い世代が仕切るようになったし、健全化している気がします。当時は現場でスタッフが殴られる光景を散々見ていましたし、収録も朝までなんてザラだった。昔の厳しい芸能界を経験していると、今はちょっと過保護で不思議な感じがします。

―もしも今グラビアやヌードのオファーが来たら受けますか?

 そもそも、そんな依頼は来ないですよ(笑)。万が一来ても100%断ります! 

―下世話な質問で恐縮ですが、例えば「1億円」のオファーがきたら?

 絶対にやりません。今は男の子の母親ですから。もともとグラビアは名前と顔を売るための手段として割り切ってやっていました。本音は嫌だったんです。当時、所属していたイエローキャブでは「どんなエロ雑誌でも表紙になればそれがお前の名刺」という野田社長の名言があり、「うちは服を着せていく事務所だ」と言われていました。私は水着から始まり、最後は十二単まで着ましたから、そこで私の中でグラビアのお仕事は完結しているんです。

―改めて、2004年のイエローキャブ分裂騒動についてお聞きしたいのですが。 

「事務所が乗っ取られた」と話題になりましたけど、実は内情は全く知らないんです。急に野田社長から「事務所が変わるから」と言われて、私には残るとか移籍するとかの選択肢がなかった。他の人には引き抜きの話があったみたいですけど、私には一向に声がかからなくて悲しかった(笑)。その頃の私はもう落ち目だったからじゃないですかね?

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