回答した女性たちは、現在でもボランティアなど社会活動に参加している人が多い。障害者関係のNPO、女性労働者の権利についての学習・研究会、あるいは政党組織で国政選挙候補者の事務局長をしている人もいた。

 東京都在住の名村千織さん(仮名、72歳)も、障害者や在日コリアンの問題に関わってきた。

「まだ身の回りに差別がたくさん残っている時代でしたから、そういった人たちの助けになればと思って活動しました。学生時代は『社会に対して何かをしなければ』と考えていたのですが、途中でそれは『傲慢ではないか』と思うようになったんです。(革命といった)抽象的なものではなくて、目の前にある具体的な問題に、一人の人間として向き合っていくことが大切だと考えるようになりました」

 学生時代にも、ベトナム人の留学生が「ベトナム戦争反対」と主張したことで強制送還されたことに反発し、ビラを書いたり署名活動をしたりしたという。ただ、学生運動が盛り上がると同時にセクト(党派)間の対立が目立つようになり、運動から遠ざかるようになった。「対立が激しくなると男も女も関係ないですよ。革マルの女性は本当に怖かった」(名村さん)と話す。

 名村さんに限らず、セクト間対立に嫌気がさした人は多い。アンケート結果でも、運動から離れた理由についての1位は「内ゲバ」(37.2%)だった。そのほかにも「党派内粛清事件」(24.2%、同2位)、「暴力闘争自体」(15.2%、同4位)などが続く(男女合計、複数回答可)。セクト間対立は、全共闘世代の“負の遺産”として、当事者たちの記憶に強く残っているようだ。

 長文の回答を寄せたのが、日航機がハイジャックされた「ダッカ事件」(77年)などに関わった日本赤軍の元最高指導者で、現在も服役中の重信房子受刑者(74)だ。全共闘運動について〈新しい社会の空気を創り出した〉としながらも、〈視野が狭く「図に乗りすぎた闘い方」だった〉と振り返っている。

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全共闘世代が今、言いたいこと