5人の命か? 1人の命か? 哲学的思考で見えてくる「自動運転車」の本当のリスク (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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5人の命か? 1人の命か? 哲学的思考で見えてくる「自動運転車」の本当のリスク

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ウーバーの研究施設前に並ぶ自動運転車=米ペンシルベニア州ピッツバーグ(写真はイメージです) (c)朝日新聞社

ウーバーの研究施設前に並ぶ自動運転車=米ペンシルベニア州ピッツバーグ(写真はイメージです) (c)朝日新聞社

 これを聞いた太郎は、疑問が残ったので、もう一度聞き直すことにした。「どう違うのですか?」

 担当者の答えは、次のものだった。「まっすぐ進めば、歩行者5人が亡くなるかもしれませんが、乗員は安全です。左に曲がると、歩行者は救えますが、車が大破し、乗員は亡くなるでしょう。また、右に曲がると、歩行者は守れますが、対向車と衝突するのですから、その乗員とこちらの乗員の命が危険にさらされます。わが社のクルマは、何よりも乗員の命を第一に守るようにプログラムされてます」

 この説明を聞いて、太郎はB社のクルマを買う気になるのだろうか?
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 たしかに、消費者の立場からすれば、何があっても「購入者の利益」を第一に考えているクルマを買いたいだろう。

 たとえば、先発のA社のクルマが、功利主義にもとづいて設計され、先ほどの緊急時には、左に曲がり壁に激突するようにプログラムされているとしたら、太郎はA社のクルマを買おうとするだろうか?

 おそらく、A社の自動運転車を購入することを躊躇するはずだ。クルマが緊急事態のとき、あえて壁にぶつかり、乗員の命を危険にさらすならば、「家族を自動運転車には乗せられない!」と感じるだろう。

 とすれば、A社の判断は間違っているのだろうか。それを考えるために、B社の方針が社会的に容認できるのか、歩行者の立場から見てみよう。

 たとえば、クルマの乗員が中年男性一人であり、歩行者が5人の子どもだったとしよう。そのとき、B社のようにクルマが歩行者をひくように設定されていたならば、そうした設定を決定したB社に非難が集まるのではないだろうか。「子ども5人の命よりも、クルマの所有者1人の命を優遇した利益優先の会社」として、糾弾されるわけである。では、どうしたらいいのだろうか。

 実際に以前、ある外国のクルマ会社のエンジニアが、「わが社のクルマは乗員ファーストに設計します!」と語ったことがある。ところが、この発言は会社によってすぐに否定されてしまった。「エンジニアの発言はあくまでも個人的な発言であり、会社の公式の考えではない!」とされたのだ。


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