■自分ではなく言葉のために

 ほとんどの装幀家がパソコンに移行して久しいが、菊地さんは従来通り、台紙に紙を切り貼りして本のデザインをしている。ピンセットで文字を置き、定規で線を引いて、幾度となく触り、凝視する。この文字があるべき位置を探り、0.1ミリまで微調整を繰り返す。

「ひらがなの、『の』を1ミリ左にしてくれる?」

 振り返りもせずに背中でそう言うと、敷居の壁の向こうから、ややぶっきらぼうに「はぁい」という声が返ってくる。今や、紙でデザインする、このアナログな方法を続けるには、菊地さんの右腕であるアシスタントの神保博美さんがいなければ成立しない。納品自体はデータなので、菊地さんの版下をもとに神保さんが最終仕上げをする段取りだ。

 30年以上、この関係性は変わっていない。アシスタントといっても仕事内容は徹底して装幀のフィニッシュワーク。例えば来客があったとき、神保さんがお茶汲みをするわけではない。主従関係というより、プロフェッショナルな関係といった方が近い。打ち合わせ場所はたいていの場合、毎朝通勤前に立ち寄る、おなじみの「樹の花」である。フリーになって40年、ちょうど同じ頃事務所の近くにオープンした。

 最も多忙を極めた80年代、中上健次や古井由吉、粟津則雄、吉本隆明、吉増剛造といった作家たちの装幀で注目を浴び、年間400冊から500冊の本を手がけていた頃、各出版社の編集者たちが菊地さんとの打ち合わせのために、店内で列をつくって待っているのが日常の風景だったそうだ。

「当時人気だった別の装幀家がいて、彼を訪れる編集者はみんな女性だったのに、僕の担当編集者はみんな男だった」

 そう言って、菊地さんは他人事のように笑った。撮影最終日だからだろうか、どこか開放的な表情をしている。最後のインタビューの中で、「1万5千冊もの本を手がけてきて、どうしてこんなにも常に楽しそうに仕事を続けることができるのか、そのモチベーションはどこからくるのか」と質問すると、菊地さんはこう答えた。

「ただ言葉が好きなんですよ、僕は。自分のためにじゃなくて、言葉のために、だろうね」

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ミスターキクチはこれからも