日中平和友好条約から40年 日中関係のこれまでを振り返る (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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日中平和友好条約から40年 日中関係のこれまでを振り返る

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安倍首相の中国訪問を受け、中国・北京の天安門広場には日中両国の国旗が掲げられた (c)朝日新聞社

安倍首相の中国訪問を受け、中国・北京の天安門広場には日中両国の国旗が掲げられた (c)朝日新聞社

尖閣諸島(沖縄県)。2012年に日本が国有化すると、領有権を主張する中国が反発し、日中関係が緊迫した (c)朝日新聞社

尖閣諸島(沖縄県)。2012年に日本が国有化すると、領有権を主張する中国が反発し、日中関係が緊迫した (c)朝日新聞社

 2018年10月、安倍晋三首相は、日本の首相としては約7年ぶりに中国を単独訪問し、習近平国家主席と会談した。日中平和友好条約を結んで40年という節目にあわせての訪中だ。これまでの日中関係を振り返ってみよう。毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された記事を紹介する。

【写真で振り返る 日中関係のこれまで】

*  *  *
 日本は柳条湖事件を発端とした満州事変以来、中国と戦争をしていたが、1945年8月14日、アメリカ、イギリス、中国の3カ国が日本に無条件降伏を呼びかけたポツダム宣言を受け入れることにした。翌15日、昭和天皇がラジオを通じて国民に戦争の終了を伝えた。

 戦後、中国では、中断していた内戦が再開され、蒋介石率いる国民政府と毛沢東の指導する共産党が争った。49年、勝利した共産党の毛沢東が主席となり、中華人民共和国(中国)を成立させた。敗れた蒋介石の国民政府は台湾に逃れた。

 人口世界一の中国が社会主義の国となったことに、資本主義のアメリカは大きなショックを受けた。当時、世界はアメリカを中心とする資本主義諸国と、ソ連(現在のロシアなど)を中心とする社会主義諸国とに分かれて激しく対立していたからだ(冷戦)。アメリカは中国と敵対し、台湾との同盟を強化した。

 一方、日本は、戦後、アメリカを中心とする連合国軍に占領されたが、51年、48カ国とサンフランシスコ平和条約を調印して、52年、独立を回復した。そしてアメリカの指示に従って台湾と日華平和条約を結んだ。「中国を代表する国は台湾である」とし、中国とは敵対するようになった。

■パンダは日中友好のシンボル

 ところが71年7月、社会主義のあり方などをめぐって対立していた中国とソ連の隙をねらってアメリカのニクソン大統領が突然、中国訪問を発表。それまでアメリカに追従して中国と敵対してきた日本は、はしごをはずされてしまった。同年10月には台湾に代わって中国が国連に加盟。「中国を代表する国」が入れ替わった。翌72年、ニクソン大統領の中国訪問に続いて、日本の田中角栄首相も中国を訪問。日中共同声明に調印して国交を正常化した。その1カ月後には中国から日中友好のシンボルとして2頭のパンダが贈られた。また、国交正常化をきっかけに、81年から日本政府による中国残留孤児の肉親捜しが始まった。


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