「ウチは、岩瀬で始まり、岩瀬で終わるんだよ」

 ことあるごとに、落合監督はそう言い続けていた。3月、オープン戦のナゴヤドーム開幕戦。沖縄・北谷でのキャンプを終えて地元でのお披露目となる一戦に、落合は毎年、岩瀬を「先発」に起用し、1イニングを投げさせた。

「きれいなマウンドもいいですね」と笑う岩瀬だが、1000試合登板の中で先発したのは1試合のみ。まさしく「生涯一リリーバー」だ。その左腕を、チームのスタートとも言える一戦で先発させる。ペナントレースの開幕戦を担う投手が「エース」と呼ばれるが、さすがにシーズン中に岩瀬を先発させるわけにはいかない。当時の中日には、川上憲伸、山本昌、中田賢一、吉見一起ら、毎年そうそうたる顔ぶれがそろっていた。

 それでも、ウチの『真のエース』は岩瀬仁紀なんだ。

 オープン戦での“開幕登板”は、チーム内外へ向けての指揮官からの宣言でもあった。

 だから、日本一を決める試合のラストを締めくくるのは、岩瀬しかいないのだ。落合はただ、自ら掲げたチームの方針を最後まで変えなかったに過ぎなかったのだ。

「あんなプレッシャー、なかったです」

 山井からバトンを受けた岩瀬は、9回を三者凡退で切り抜け、史上初の「パーフェクトリレー」で、中日は53年ぶりの日本一を成し遂げた。通常、番記者たちは日本一達成のエピソードをメーンとした「優勝原稿」を事前に準備している。しかし、パーフェクト寸前での投手交代の是非を巡っての反響の大きさに、会社から「継投について書け」の指令が飛んできた。

「優勝原稿は?」「使わん。1面を差し替えるから」。原稿の打ち合わせで、番記者もドタバタだった。日本一なのに、異様な空気。そんな中で、岩瀬はさらりと、きっちりと、何事もなかったかのように、3人で締めくくっていた。四球を出したり、ヒット打たれたり、さらには1点のリードを追いつかれてでもいれば「大記録に水を差した」「なぜあそこで代えた」と、騒ぎはさらに大きくなるところだ。山井の投球にも、落合監督の決断にも驚かされた。しかし、何より凄かったのは岩瀬だ。あの緊張感の中で、自らの仕事を何事もなかったかのように全うして、日本シリーズ史上初の「パーフェクト継投」を達成していたのだ。

 ただ、後になって冷静に考えてみると、その「大記録目前での継投」というセンセーショナルな事象に引っ張られ過ぎてしまい、ゲームの流れを踏まえた原稿が書けなかったような気がしてならなかった。“岩瀬から見たラストシーン”という視線で、違った角度からもあの一戦を書けなかったものだろうかと、番記者として悔いが残っていた。だから今回、1000試合登板という前人未到のマイルストーンを機に、あの時の「顛末」を書かせてもらった。

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打たれても、岩瀬は逃げたりしない