一方の錦織は、全米オープン前の3大会を3勝3敗の戦績で終えるなど、望んだ結果を手にしたとは言い難い。前哨戦最後の試合を終えた時「もっと試合数をこなしたかった」とこぼしたその背景には、フォアハンドの感覚がずれているとの不安があった。それだけに、実戦を通じ、ラケットがボールを捉える感覚と自信を取り戻したいと願っていた彼にとっては、6試合の経験値は物足りなさが残ったのだろう。

 ならば、今回の全米での錦織は、試合を勝ち上がりながら望むものを獲得していくしかないだろう。その意味でも大きな意味を持つのが、初戦のマルテラーとの戦い方。左腕の相手に、フォア対バックの打ち合いに持ち込めば、ラリー戦で優位に立てる局面が増えるはず。フォアで試合を支配できれば、自ずと自信も回復できるはずだ。

 フェデラーが抱く「楽しみな大会」への高揚感は、多くのテニスファンの想いを代弁したものでもある。昨年は、フェデラーとラファエル・ナダルがケガからの完全復活を成し、多くの人々の胸を打った。今年はジョコビッチが、その物語の続きをつづっている。

 次はニシコリが――それは日本のみならず、彼のプレーに魅せられた、世界中のテニスファンや関係者たちが抱く願いだ。(文・内田暁)