たしかに、最近の北朝鮮は障害者の“人権外交”を続けている。2016年には障害者権利条約に批准。朝鮮中央通信(電子版)によると、昨年11月27日~12月1日に北京で開かれた障害者に関する会議には、人権担当大使らを派遣した。そこでは、国連制裁決議が「障害者の権利保護のための活動分野にまで深く触手を伸ばしている」と主張。さらに、「(制裁が)障害者用の設備と矯正および整形器具の生産、そして障害児のための教具・備品の購入にまで難関をきたしている」と訴えた。経済制裁の解除を求める理由に、障害者の人権問題をあげているのだ。

 では、北朝鮮の障害者の生活はどのようなものなのか。これまで謎に包まれていたその一端が、文化人類学者の伊藤亜人・東京大学名誉教授によって明らかになった。伊藤名誉教授は北朝鮮の脱北者の手記を集め、北朝鮮の人々の生活実態を調査。その成果を『北朝鮮人民の生活 脱北者の手記から読み解く実相』(弘文堂)にまとめた。

 同書に掲載されている脱北者の手記には、こう書かれている。

〈北朝鮮の中でもとりわけ平壌は特別な空間とされ、キム・イルソンは「平壌は国の顔だ、人々はその人の顔をみて評価する。我が国を訪問する人は平壌を見て我々を評価するから、平壌には精神的にも肉体的にも元気な人だけが住むようにしなければならない」と言った。この趣旨が繰り返し強調されたため、平壌市内には障害者が住むことができなくなり、家族の中に一人でも障害者がいれば原則として家族全員が地方に追放されることになった〉

 障害者は、平壌に存在してはいけない人たちとされていた。それは、軽度の身体障害者でも同じだった。

〈平壌市東大門区域の新興一棟に帰国者とともに一人の日本人女性が住んでいた。(中略)この女性は、画家として党の中央からも最高の評価を受けていたにもかかわらず、足が少し不自由だったため、平壌の人口調節名簿に載せられ地方に追放された。在日総連の親族が政府に送金して圧力をかけると、例外的な措置として平壌の隅に当たる東大院区域の江安洞に住むことが許された。しかし、垣根の外に一歩も出ないことが条件とされた〉(いずれも『北朝鮮人民の生活 脱北者の手記から読み解く実相』より引用)

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「ほほ笑み外交」は今後も続く?