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永井荷風は米国でブルースとロックの聖地を歩いていた

連載「六九亭日乗」

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永井荷風・著『あめりか物語』岩波文庫

永井荷風・著『あめりか物語』岩波文庫

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など

  1903年にアメリカに渡航した永井荷風。意外にも、後にロックやブルースの「聖地」と呼ばれることになる土地を歩いていました。音楽ライターの大友博さんが、永井荷風が歩いた道を紹介します。

* * *
 永井荷風『断腸亭日乗』起筆百年を記念した特別展『荷風の見つめた女性たち』が現在、市川市中央図書館2階の市川市文学ミューシアムで開催されている(2018年2月18日まで)。

 監修は、川本三郎氏。『腕くらべ』の駒代、『つゆのあとさき』の君江、『墨東綺譚』お雪など、その作品世界のなかで生きいきと描かれた女性たち、それぞれのモデルとされる女性たちとの逸話、女性観の変化などを中心に、荷風の歩み、文学的変遷がわかりやすい形で展示されている。『墨東綺譚』の舞台、玉ノ井の詳細な手書き地図など貴重な資料も多い。個人的には、市川市八幡町での最晩年の暮らしぶりとトレードマークの散歩姿を再現したコーナーをとりわけ楽しく拝見した。

 僭越ながらその『断腸亭日乗』から勝手にタイトルのヒントをいただいてしまったコラムということもあり、紹介した次第だが、じつは、これもまた僭越かつ勝手ながら、僕は荷風という人にわけもなく親しみを感じてきた。いや、わけがないわけでもなく、たとえば、半世紀近く前、船橋の高校に通っていた僕は、3駅東京寄りの本八幡駅前にあった映画館で『イージー・ライダー』などいわゆるアメリカン・ニュー・シネマの何本かを観ている。

 最後の永井邸はそこから少し歩いて、京成線を越したあたりだった。大学受験前によく通った図書館の周辺は、荷風がしばしば杖を曳いていた土地でもあったらしい。そして、はじめて足を踏み入れたアメリカの都市が同じだったということも。

 短編集『あめりか物語』と『西遊日記抄』によれば、永井荷風は1903年(明治36年)秋、海路米国に向かい、カナダのヴィクトリア港を経由してシアトル港から入国している。70年後の1973年夏、はじめてアメリカ大陸を体験しているのだが、往路のルートは、羽田発アンカレッジ経由シアトル・タコマ国際空港、というものだった。

 まあ、いずれにしてもたいしたつながりではありませんね。すいません。冗談はともかくとして、30歳のころにはじめてきちん読んだ『あめりか物語』に強く惹かれたことがきっかけとなり、荷風が北米大陸を旅した経路をたどってみると、のちにブルースやロックの聖地と呼ばれることになる土地を訪れていたことがわかった。そして、これもまた勝手ながら、さらに深く親しみを感じるようになってしまったのだった。


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