ただ、どんなに「愛のある教育」とか言っても、殴っちゃうと客観的には「教育じゃない」って言われちゃう。「愛のムチ」は論理的に説明できないグレーゾーンだから、ここを議論したところで答えは出ないんですよ。10年も20年も前からこの問題はずーっと議論されてきたわけじゃないですか。それでも答えは出ない。
結局、人間って感情論なところがあるんですよ。熱くなれば熱くなるほど「愛のムチ」って、まったくないとは言いきれないじゃないですか。殴ったとかだったらわかりやすいけど、言葉とか態度とかわかりにくいものもある。これってアイドルの恋愛禁止と一緒だと思いますよ。「ダメ」って線引かれたところで、人を好きになっちゃうときは好きになっちゃうんだから。
人間が社会生活を送るにはルールが必要で、文科省が「ダメだ」と線を引いたんだから、今決まっているのは「一切ダメ」。これが唯一の線です。その上で、このケースはOKでこれはダメとと振り分けるのは不可能なことなんです。だから日野さんのケースも是非を議論するのは意味がないと思う。不毛な議論はやめませんか?
教育って難しいなって思ったのは、ロケで2日間ぐらい学校の先生をやったとき。30何人いると30何人の個性があるんですよ。急に泣いてる子が出たりする。後輩とかだったら「何泣いてるんだよ」って理由を聞けるけど、それもできず……。その前に、僕がちょっといい話してたからそれが原因かなとか、次が給食だったから給食が嫌だったのかなとか、家で何かあったのかなとか、理由を考えてたんですよ。数年経ってツイッターで見つけたんですけど、その子が「昔、竹山がロケに来て私が泣いてたら、竹山がいい話したから泣いてるって編集されてた」って。本当はお腹痛かったんだとか書いてた。確かにその感情ってわからないし、もしかしたらあの時僕は「何泣いてるんだ!」ってその子を責めていた可能性もあるわけじゃないですか。個々の感情って違うなって思ったんですよね。だから“適切な指導”だったとしても受け取り方で変わるんだと思います。